ちょっと気になる記事がありました。
世帯年収890万円未満は税金の負担以上のサービスを国や自治体から受益しているということです。
サービスというのは日ごろ利用している道路や橋、水道などのインフラから学校教育や、医療、介護までさまざまな公共サービスを含めた総合的なものだと思います。
そこで世帯年収890万円以下は社会のお荷物かという議論が一部で起こっているようです。
なんか「お荷物」という表現は良くないですよね。
この記事シリーズは全6回で最後まで読まないと結論は出せない部分はありますが、世帯年収890万円以下がお荷物かというとそれはかなり間違っていると思います。
そういうお荷物という人たちの仕事で世の中はまわっていますので。
道路の清掃人や、警備員、スーパーのレジ打ちや自動販売機の飲料を補充する人、倉庫で働く人やタクシー運転手、介護スタッフ、アパート管理人、コンビニ店員など年収300万や400万に達しないような社会の基盤を支えるいろんな仕事に従事する多くの人たちで世の中が円滑に動いているので、こういう数字だけ独り歩きするのは良くないですね。
私も年収せいぜい250万円程度ですけど、少なくともお金をもらえているということは世の中に必要とされているわけですからね。
仮に年収1億円以上稼ぐ人がいたとしても、お荷物と言われれる人たちの仕事が無ければ何もできません。
コンビニで弁当も買えなければ、自販機でジュースも買えません。タクシーも乗ることができなければ、通販で買った商品も届けてもらえないでしょう。
お金を稼ぐ人は確かに能力はあるかもしれませんが、一人だけで稼いでいるのではないのです。
ブロガーの山本一郎氏が解説する。
「内閣府の試算をもとに計算すると、世帯の総収入が890万~920万円を超えるまでは『受益超過』となります。所得がそれ以下の世帯はいわば『社会のお荷物』です。表現は過激かもしれませんが、これは日本社会の素晴らしさでもあります。なぜなら所得が低く『担税力』のない人にも、市民サービスを平等に提供するという合意の表れだからです。ただし、そうした美しき日本社会は、近い将来、経済・財政的に破綻する恐れがあります」
山本氏本人も表現は過激かもしれないと言っていますが、実際かなり嫌な言葉ですね。
日本社会の素晴らしさと言っていますが、そんなこと素晴らしくもなんともなく当然のことじゃないですかね。
海外でもどこでもそうでしょう。
ある程度努力や才能で変わりますが、みんなたまたま運が良く収入が高い仕事に就いたり、たまたま理由あって収入の低い仕事に就いたりしただけのことじゃないのでしょうか。
職業に貴賤はないと言いますが、お金が発生している限りすべては世の中に必要な仕事であり、そういうすべての仕事で世の中は動いているのです。
高収入の人だけで構成されている社会ってありえないでしょう。
美しき日本社会が財政的に破たんと言われてもそれは別問題ですね。
これだけ読むとなんか年収の低い人が足を引っ張ているような。
収入が少ないだけで世の中のお荷物呼ばわりはちょっと乱暴だと思いました。