あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします
2日目は徳山から愛知に帰る途中、うさぎ島で知られる大久野島へ立ち寄りました。
大久野島へ行くにはJR呉線の忠海駅で下車します。竹原市になります。
車内放送で「ウサギ島で有名な大久野島へ行くにはこの駅で下車してください」とアナウンスが入ります。ほかの呉線のアナウンスではそんなアナウンスは全くなかったので、いかにうさぎ島に行く人が多いかということでしょう。実際多くのお客さんが下車していきました。
港までは駅から5分ほどの道のりです。
土産物屋と連絡船きっぷ乗り場を兼ねたおしゃれな建物で乗船券を買います。
うさぎ島へは往復620円、お手頃価格です。忠海からは大久野島を経て大三島の盛港へ行く船も出ています。
連絡船はほぼ満員の乗客です。若い女の子グループや小さい子供をつれた家族連れなど、ほぼうさぎ目当てです。おっさん一人旅らしき人は私のほかに見当たりません。
船の中にあったウサギと接する際の注意書きです。しっかりと守りましょう。
大久野島が見えてきました。
島に到着です。
下船してすぐ、船着き場の周りの公園にはウサギがいっぱいいます。
みんなウサギの写真を撮っています。小さな子供に大人気ですね。
この天気ではウサギもちょっと寒そうですね。
ベージュ色のウサギが多いですが・・
白&グレー
白もいます。
黒もいました。
ウサギは船着き場のある島の東側に多いですが、それ以外にもほぼ島の全域において700羽ほどいるそうです。実際歩いてみた感じ、もっと多いような気がしました。天敵がいないんでしょうかね。
島のいたるところにうさぎの水と餌用の皿が置かれ、食べるのに困ってはいないようです。これだけ観光客呼べればウサギ様々ですね。
島には南西部に宿泊施設である国民休暇村があるだけでほかに民家はありません。
ここのウサギは人慣れしていて、すぐ寄ってきます。かわいいやつらです。しかし餌を持っていないことがわかると、すぐどこかに行ってしまいます。わかりやすいやつらです。
多くの観光客はキャベツ、ニンジン、ウサギ用のフードを持ってきていました。あらかじめ細長くカットしたニンジンを袋一杯持ってきていた準備のいい家族連れもいました。エサを持ってきた方が楽しめるでしょう。
大久野島はウサギの島だけでなく、戦争遺跡の島の一面もあります。ここには戦時中、日本軍の毒ガス工場がありました。秘密保持の観点から昭和初期には地図から島が消されていたそうです。
大久野島は歩いて1周しても1時間強でまわれる小さな島です。私は2時間ほどの滞在の間、徒歩で一周して遺跡巡りをしました。
こちらは船着き場からすぐのところにある発電所跡。毒ガス製造のための発電所です。
廃墟になって70年以上、いい味出しています。崩落の恐れがあるので内部は立ち入り禁止です。
こちらは島の北側にある北部砲台跡。明治時代に欧州列強が瀬戸内海から京阪神地方に侵入するのを阻止するために砲台が設置されたそうです。
飛行機が全盛の現代では本当かなあと思いますが、当時は軍艦による攻撃が差し迫った脅威だったんでしょうね。特に日露戦争時は多くの大砲が設置されたそうです。
レンガ積や石積が立派です。
ここまで来ると観光客も少ないです。
こちらの建物は毒ガスの貯蔵庫だったそうです。第2次世界大戦の終戦とともに、毒ガスはこの場で焼却処分されたそうで、その時の火炎放射の跡が壁に黒くなって残っています。こちらも内部は立ち入り禁止です。
この島では、昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)まで、太平洋戦争で使用するための毒性のガスが大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていた。この時代まで島内には民家7戸・住人数10人がおり農耕を営んでいたが、毒ガス製造が始まった時に強制退去となった。
作られていた毒ガスの種類は血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種で、戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていた。毒ガスやそれに関する機器は終戦直後旧日本軍が証拠隠滅を図り海洋投棄し、その後進駐軍が島全体を接収し海洋投棄・埋設・焼夷剤で焼却するなどの無毒化処理が施された。
こちらは当時の作業員たちのトイレ跡。便器らしきものが見えます。
こちらは当時の研究所跡になります。島のウサギは戦時中毒ガス開発の実験用として持ち込まれたものが、戦後逃げ出し自然繁殖して増えたという説は本当なんでしょうか?
この日は休みでしたが毒ガス資料館もあります。入館料100円とありました。入りたかったですね。
あと大久野島で個人的に気になったのは島の中央にそびえる巨大な送電鉄塔。ここから本土の竹原市に向けて送電線が一気に海を渡ります。
詳細は国民休暇村さんのブログから引用させていただきます。
大久野島にはても大きな鉄塔が建っています。写真のように船から見るとそこまでの大きさを感じませんが、これがなんと鉄塔だけで高さ226m!
昭和36年に建造されたこの鉄塔は本土~大久野島間(2,357m)と大久野島~大三島間(1,423m)の送電線を支える、日本で一番高い送電鉄塔なのです!
大きな船も通ることのできるよう、海面からの高さ(42m)を保つ為、この高さが必要になったそうです。
送電線一本の重さが10tを超えるため、この鉄塔のためにさまざまな箇所で開発、研究が行われたそうです。送電線の重さにもびっくりですが、これを支える大久野島の鉄塔はなんと937t!!と、いわれても実感わきませんね!
神戸と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の橋桁を吊る巨大ワイヤもそうですが、こんな高いところにある長い送電線をどうやって張るんでしょうかね。巨大なウィンチを使うのでしょうか。送電線の張替はえはどうするのでしょう。気になります。
大久野島のすぐ南側はしまなみ海道の大三島です。
帰りのフェリーがやってきました。島に上陸する人がたくさん乗船しているようです。
忠海へ戻ります。忠海からは再び電車で愛知県へと帰ります。愛知まで8時間以上かかります。