大阪市南西部は河川や運河などの水路が縦横に走っており、また河川舟運が盛んで架橋が困難だったため、古くから市による公営の渡船が多数運航されてきた。各河川・港湾への架橋進展に伴いその多くが廃止されたが、現在でも8航路が、主に大阪市建設局西部方面管理事務所により運航されている(木津川渡のみ市港湾局)。
繁華街や観光地では見られない、普段着の大阪に触れることができるスポットとして、静かな人気を呼んでいる。最近では渡船乗り場への案内看板(船体側面の絵と乗り場を書いた看板)や乗り場の表示看板(船体の正面と水鳥の飛んでいる絵の看板)も作られている。
大阪の湾岸部は車のために大規模な橋が多く架けられていますが、川や運河を航行する船のことを考慮して高さのある橋がとても多いです。
市民が徒歩や自転車で渡るには不便な橋も多く、橋が架けられた後も日常の足として市民の声で渡船が残っています。
渡船はすばらしいことに全航路無料です。自転車は載せることができますが、原付以上のバイクは載せることができません。
渡船の時刻表はこんな感じです。全航路がA4一枚のPDFファイルになっています。ちなみにこれは発側の時刻で、対岸の発時刻はこれの数分後です。どの航路も乗船時間が短く、中には乗船後1分で対岸についてしまうところもあります。
まずは天保山渡船から
今回のスタート地点はJRの大阪環状線と阪神電鉄の乗換駅である西九条駅です。ユニバーサルスタジオ方面に行くJR桜島線もここから発着しています。
駅近くのサイクルポートでシェアサイクルを借ります。今回利用したのは大阪市内を中心に150カ所のポートで乗り降り自由なHUBchariです。小径ホイールの電動自転車でデザイン的にも悪くないと思います。乗っていてそれほど恥ずかしくありません。
しばらく此花区の下町的なところを走ります。見えている高架道路は大阪と神戸間の大動脈、国道43号線です。
ユニバーサルスタジオの横を通過します。ちょうど外国人グループが記念写真を撮っているところでした。
市のホームページより天保山渡船について
天保山(港区築港三丁目)と此花区桜島三丁目を結ぶ(岸壁間400メートル)位置に天保山渡船場がある。明治38 年に開設されたこの渡しは、大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として始めたもので、昭和15年までは市の港湾部が所管していた。
当初は天保山、桜島、築港大桟橋の間を三角運航していたが、大阪港の繁栄につれて利用者が増え、築港桟橋を基点に木津川、尻無川方面にも運航区域を広げ、大正11年に天保山桟橋が完成して内航客船が発着するようになってからは、天保山~桜島間を終夜運航した時代もあったが、昭和元年には現在のルートになった。
昭和初期には桜島付近の重工業化が進んで通勤用としても利用された。昭和12年12月1日午後9時ごろ、渡船が突風にあおられて転覆、軍需工場帰りの乗客53人の犠牲者を出す事故があった。昭和15年に経営は土木部(現建設局)に移され、現在にいたっている。昭和42年には1日平均1700人の利用者があったが、平成30年度現在1日平均約747人が利用している。
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011249.html
船着き場についたらちょうど対岸から船がやってきました。対岸が観光スポットの海遊館などがある天保山です。8航路の中でも比較的対岸との距離がある航路です。
到着した船にはわりと人が乗っていました。乗船客は外国人の割合(欧米人)が高いです。ユニバーサルスタジオで働いているアクターさんたちの通勤のようです。
船内はこんな感じでがらんどうでイスもありません。
海遊館と天保山の大観覧車。後方に南港のWTCビルが見えます。この日は寒波襲来で大阪もこの冬一番の寒さでしたが晴れ渡って気持ちいいですね。ほぼ海のような安治川を渡ります。
旅客定員80人。
航路の上には橋が架かっていますが、こちらは阪神高速5号湾岸線で人や自転車は通れません。
天保山に着きました。
次の甚兵衛渡船の船着き場まで自転車で移動します。天保山運河越しに見える赤い橋は港大橋で、わたしが小学生の頃からすでに架かっていました。1974年に開通したそうです。(私は1970年生まれ)
甚兵衛渡船
以下、大阪市ホームページの甚兵衛渡船の説明です。
昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。「摂津名所図会大成」に『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったという。
現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航している。平成30年度現在1日平均約1,096人が利用している。
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011251.html
甚兵衛渡船が8航路の中で最も利用客が多い航路です。近くに高校があるので朝夕は通学の学生で賑わうようです。対岸まで94m。泳いで渡れそうなくらいの距離です。ここもちょうど私がついた時には船が出るところで慌てて乗船します。
少し上流にはアーチ形の尻無川水門。船の航行を考慮した形状ですね。
船は幅の狭い尻無川を弧を描くように進みます。最後は車のドリフトのように横づけで滑るように桟橋に船を着岸させます。船長さんの腕の見せ所ですね。この間1分くらいです。
甚兵衛渡船の大正区泉尾側です。8航路のうち天保山航路を除く7航路は大正区内どうし、および区外と大正区を結ぶ航路です。大正区自体が島みたいなものですね。
千歳渡船
大阪市ホームページより千歳渡船について引用します。
この渡しは大阪港復興事業の一つとして大正区の内港化工事を行った際、既設の千歳橋が撤去され、その代わりの施設として設けられた。
昭和30年7月にそれまでの民営から港湾局の所管とし(同32年6月直営化)、同39年建設局に移管された。大正区鶴町三丁目と同区北恩加島二丁目(岸壁間371メートル)間を運航している。平成30度現在1日平均約530人が利用している。
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011253.html
3つ目は千歳渡船です。道の先に見える千歳橋の下に渡船の船着き場があります。
共通の市営渡船のマーク。堤防のコンクリートにペンキで書かれています。
千歳橋の下を渡船は進みます。この千歳渡船が一番景色が良いと思います。
対岸の鶴町側に到着しました。
乗ってきた船がまた戻っていきます。
千歳橋は徒歩でも通行可能な橋でした。しかしこの巨大な橋を徒歩、自転車で渡るのは物好きか体を鍛えたい人しかいないでしょう。そういうこともあって渡船が残っているのですね。
私は興味があるので橋のてっぺんまで行ってみます。重い電動自転車を押しながら階段を登ります。
幅の広い歩道があります。
橋の高さは海面から27m。10階建てのビルくらいです。なかなかの絶景が広がります。
日本一高い高層ビルのあべのハルカスが見えますね。
こちらは西側の景色。
港大橋の手前に見えるなみはや大橋も歩道がついているそうです。今度は大阪の橋を自転車で巡ってもおもしろいかもしれませんね。
こちらは乗船した千歳渡船の北恩加島側です。遠くになんば、本町あたりでしょうか、高層ビルが林立しています。
IKEAでお昼休憩にします
しばらく自転車で走るとIKEAがあります。ここで休憩、昼食にすることにしました。
無料のコインロッカーに荷物を預けます。
2Fにあるレストランでお昼にします。平日なのでそれほど混んでいません。
パンとドリンクバー。540円ほどでした。