まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

死ぬ権利よりも生きる権利守る社会に

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今日はあまりお気楽でない話題について書こうと思います。

 

news.yahoo.co.jp

 

昨日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者に頼まれて薬物を投与して殺害したという医師が逮捕されました。ニュースを見る限りでは、死を希望する患者と優生思想を持つ医師と結びついて起こった事件のようです。

 

私がもしALSを発症したら、ケアしてくれる周囲の人たちに遠慮するでしょうし、治癒する見込みがないのなら、ある程度のところで早く死なせてくれと思うのかもしれません。

 

そして世の中では安楽死の法制化を求める意見も少なからずあります。

 

なんかこの女性患者の気持ちもわからないでもないなーと思っていたら、次の記事を読みました。自身がALS患者であるれいわ新選組の舩後参議院議員の意見です。

 

 

目からウロコです。

 

mainichi.jp

 

以下、引用させていただきます。

 

事件の報道を見聞きし、驚いています。ただ、現時点では正確な事実関係がわかりませんので、事件の内容についてのコメントは控えたいと思います。

 

 報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めてほしい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。

 

なぜなら、こうした考え方が、難病患者や重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、当事者を生きづらくさせる社会的圧力が形成していくことを危惧するからです。

 

 私も、ALSを宣告された当初は、できないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。

 

 死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。

 

 

 

この舩後氏のコメントを読んで、きれいごとかもしれませんが、こういう難病や重度の障害を持つ人も遠慮することなく生きたいと思える社会をつくることが、まわりまわって健康な人も含むすべての人にとっても生きやすい社会になるのではないかと思いました。

 

患者に同情するように「死にたい気持ちわかる」と口にすることこそが、暗に「そんな状態になったら死ね」「生きている価値なし」と言っているのと大差ないかもしれません。

 

優しいふりしているけども、どこか根底の部分で相模原事件の植松被告と変わらなかったりして。

 

 

患者本人が言うならともかく、関係のない他人が口にするとそれは知らず知らずに命の選別に加担していることになっているのではないでしょうか。

 

 

 

もちろん回復する見込みがなく耐えがたい苦痛がある場合は安楽死も一つの手段です。

 

しかし万が一まわりに迷惑をかけているといった理由で死にたいと考えるようなら、舩後議員が言うように、(弱者に優しい雰囲気の醸成や公的サポートをさらに充実させて)患者に生きたいと思ってもらえるような社会にする必要があるでしょう。

 

健康な人でもいつ交通事故などで重度の障害を持つかもしれません。この世は一寸先は闇です。

 

弱者切り捨てではなく弱者を助けることが、私たちが安心して生活できるはじめの一歩ですね。