まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

毎日放送ヤングタウンの思い出と人生ではじめて買ったレコード

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小学校6年生~中学2年生くらいでしょうか。

 

ラジオの話ですが毎日放送でヤングタウンという番組をやっていました。関西ローカルですかね。当時よく聞いていました。

 

気になったので久しぶりに調べてみると現在も週2日、土曜が明石家さんまさん、日曜日が笑福亭鶴瓶さんがパーソナリティーで放送されていますね。

 

www.mbs1179.com

 

ヤングタウンの歴史を引用で振り返ります。 

 

1967年10月2日、25歳以下の若いリスナーをターゲットにした深夜放送として、『歌え!MBSヤングタウン』の放送が開始されました。パーソナリティーには、入社2年目の新人アナウンサー斎藤努さんが抜てきされました。放送開始当初は、斎藤さんが全曜日の司会を務め、ゲストとして関西地方で活動するアマチュアバンドが日替わりで招かれました。なお、記念すべき1回目の放送のゲストは、ザ・フォーク・クルセダーズでした。

 

翌68年には、木曜日から土曜日までの司会として、当時まだ新人だった桂三枝さんを抜てきすると、若者を中心に人気を集めました。70年には、番組タイトルを現在の『MBSヤングタウン』に変更します。

 

笑福亭鶴光さんや谷村新司さんなど、個性的なパーソナリティーに起用し、さらに番組の放送時間を3時間に拡大します。1979年、桂三枝に代わって、明石家さんまさんをパーソナリティーとして起用しました。

 

他にも、島田紳助さん、笑福亭鶴瓶さん、やしきたかじんさん、CHAGE and ASUKA、ダウンタウン、渡辺美里さんなど、お笑い芸人やアーティストを中心に、多彩な顔ぶれで高い聴取率を保ちました。

 

しかし1990年代に入ると、在阪FM局の台頭などにより、番組の人気は次第に低迷します。若いアイドルを積極的に起用して再起を図りましたが、1999年の番組改編で平日の放送をすべて終了しました。

 

現在は、明石家さんまさんがパーソナリティーを務める土曜日と、笑福亭鶴瓶さんの日曜日の放送が続いています。

MBSヤングタウン - Wikipedia

 

毎晩放送されていましたが、いちばんよく聞いていたのが金曜日の谷村新司さん担当の時。ばんばひろふみさんも一緒に出演されていたと思います。

 

そして確か11時ころからでしたが、エロエロコーナーが始まりました。谷村さんといえばエ○本5000冊のコレクションがあるとも言われるその筋の一流のお方です。

 

あまり良く覚えていませんが、リスナーからの恋愛や性に関する相談から下ネタ話、そしてこれはよく覚えていますがリスナーから寄せられたウッフ~ン💛系の音声が何本も流されていました。

 

私は毎週、それを布団の中で耳をダンボにして聞いていました。(笑) 

 

少年時代の無限大の想像力で、目が冴えて冴えて眠れないほど。でもあくる日は土曜日だからまっいいかという感じです。

 

(あれ、当時はまだ土曜日も午前中は学校あったかな?)

 

 

それはさておき、パーソナリティーが谷村新司さんとばんばひろふみさんなので、それぞれの曲が合間合間によくかかります。ばんばさんならフォークの名曲「いちご白書をもう一度」だったり、谷村さんだったらアリスの曲だったりですね。

 

そんなお二人に影響されて私が買った人生最初のレコードはこちら。

 

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谷村新司さんの「22歳」という曲です。

 

激シブですね。歌詞を聞いていただければわかりますが、とても12、13歳のガキが買う曲とは思えません。(笑)

 

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また22歳といえば、こちらの伊勢正三さんの「22歳の別れ」のほうが有名ですかね。こちらもフォークの名曲中の名曲です。

 

 

いずれにせよ当時は22歳という響きにあこがれと、すごい大人びた雰囲気を感じたものです。

 

しかし私の場合、22歳はそんな歌になるような恋愛もなく、あっという間に過ぎ去っていきまいた。

 

そして22歳どころかあっというまに33歳、44歳、そしてそのうち55歳・・・。時の流れは早いものです。

 

そんな私が実際に22歳の時に夢中になったのは、当時はやっていた米米クラブやブルーハーツですかね。

 

youtu.be

 

時はまさしくバブル絶頂期、このあとまもなく日本は失われた30年へと転落していくのでした・・