まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

一休さんが住んでいた酬恩庵一休寺に行く

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すきすきすきすきすきっすき一休さ~ん♪

 

テレビアニメでおなじみの一休さんが晩年、満87歳で死ぬまで暮らしたお寺が、京都府の南部、京田辺市にある酬恩庵一休寺です。

 

(今の子供たちは一休さん知っているのかな。)

 

www.ikkyuji.org

 

 

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一休さんの銅像です。一休さんのほんとうの名は一休宗純、臨済宗大徳寺派の僧で室町時代の人物です。(1394-1481)

 

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賢そうな顔をしています。

 

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引用)Wikipedia

 

しかしこのような肖像画が残されています。(重文) 大人になったとはいえアニメのかわいらしい顔とはずいぶん違います。

 

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一休寺は京都の中心部から離れているので、平日であれば紅葉シーズンでも静かな雰囲気。

 

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一休宗純には次のような逸話が残っているそうです。(Wikipediaコピペ)

 

・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。

 

・男色はもとより、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の女性である森侍者(森女)という妻や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。

 

・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったとされる。

 

・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。

 

・正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。

 

 

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一休宗純はかなり奇人変人だったようです。

 

型に縛られない人間臭い生き方が民衆の共感をよび、のちの江戸時代に「一休咄」とよばれる頓知咄が生まれる要因だったそうです。

 

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国の名勝の方丈庭園。

 

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庫裏は重要文化財。内部で納豆の一種の一休寺納豆を売っていました。昔の製法のままのかなりレアな納豆のようですね。

 

あの時買っておけばよかったと後悔。

 

一休寺納豆

 

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※こちらは2016年11月の訪問です。このブログを書き始める10カ月前です。