旅行記が続き失礼します。いつも電車で通過してばかりの浜名湖です。
弁天島駅
JR東海道線の弁天島駅に下り立ちました。
駅周辺は海水浴場や大規模なホテル・旅館もあり、ちょっとしたリゾート地のようになっています。
沖には赤鳥居と国道1号線バイパスの浜名大橋が見えます。
こちらの赤鳥居は「弁天島観光シンボルタワー」という名で、神社とは全く関係ないようです。昭和48年に舞阪町観光協会が観光のシンボルとして建設したそうです。
いかり瀬に弁天島観光シンボルタワーが建つ【1973年(昭和48年)】/浜松市
鉄橋の下では何やら楽しそうなことをやっていました。
舞阪漁港
駅から徒歩10分ほどの舞阪漁港にやってきました。
砂浜がつづく御前崎以西の太平洋沿岸では貴重な漁港だと思います。思っていたより漁船の数がずっと多い。
大型漁船はありませんが、おそらく湖の中で漁をする小型漁船と、遠州灘に出て漁をする中型漁船がたくさん。
こちらは甲板にウィンチがあるので、おそらく遠州灘で底引き網漁をする漁船でしょう。
構内には大きな魚市場の建物もありました。
浜名湖はウナギだけかと思っていたら、シラス、クロダイやスズキ、サヨリなどの魚、アサリなどの貝類、ガザミなどのカニやタコ、牡蛎や海苔、クルマエビの養殖まであるんですね。
港内の水面を見ると、小さな魚が群れを作っていました。クラゲも浮遊していました。
カキ食べたい。
今切口 舞阪堤
浜名湖が太平洋とつながっている場所に行ってみようと思います。
浜名湖と太平洋の間に浜名バイパスと大きな堤防があり、堤防上は気持ちい自転車道路?となっていました。
浜名バイパスの下からのぞく弁天島方面。
浜名大橋
この巨大な浜名バイパスと浜名大橋ですが、自動車専用道路のため歩いて通行できません。橋の上からだとすごい眺めがよさそうなんですが残念。
浜名大橋(はまなおおはし)は、浜名湖の今切口に架かるPC橋。国道1号浜名バイパスの馬郡IC〜新居弁天IC間にある。
構造形式は、PC5径間連続有ヒンジラーメン箱桁橋である。橋梁全長631.8m、有効幅員9.0mである。最高地点は海抜31 m。中央支間長は240 mにおよび、桁橋としては建設当時には世界最大支間であり、2004年(平成16年)の江島大橋開通まで日本最大の支間長を誇った。
浜名湖および遠州灘の海岸線沿いにあるため、工事および耐震の関係上大きな構造になっている。 弁天島からの眺望は非常に雄大で、ライトアップをしようという意見もあったが、近隣で行われているシラス漁の関係、また、アカウミガメの上陸・産卵を妨げるという理由で不可能になっている。
浜名大橋は夕日撮影のスポットとしても人気のようです。
浜名湖と太平洋がつながる今切口にやってきました。
ちょうど干潮だったようで、写真ではわかりにくいですが、湖の水がかなりの速度で左側の太平洋へと流れていました。
太平洋です。堤防では多くの釣り人が釣り糸を垂らしていました。
こちらは浜名湖側です。
来た道を引き返します。
海岸は砂が堆積し砂丘のようになっていました。
旧東海道舞坂宿
舞阪漁港の周辺は旧東海道舞坂宿の史跡が点在しています。
舞坂宿脇本陣
そういえば現在の地名は「舞阪」ですが、昔は「舞坂」だったようです。宿場町としては舞坂宿が正式名称になります。
再建された脇本陣の建物がありました。入場無料でしたので入ってみました。
江戸時代、東海道舞坂宿は江戸から30番目の宿場にあたり、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場でした。今日、当時をしのぶ町並みは失われてしまいましたが、天保9年(1838)建築の旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されていました。旧東海道では唯一の脇本陣の遺構です。この貴重な脇本陣を後世に伝えようと、建物を復元しました。
間口に対して奥行きのある立派な建物でした。
炊事場。
トイレ(小)です。
トイレ(大)です。
上湯殿ですので殿様用のお風呂ですね。
こちらの道が旧東海道。
道を挟んで脇本陣の斜め向かいに本陣があったそうですが、当時を偲ばせるものはまったく残っていません。
今切の渡し
浜名湖を船で渡る渡し場が付近に3ヵ所あったそうです。こちらはその一か所。浜名湖漁協ビルのすぐ隣にあります。
主に荷物を中心に扱っていた渡し場だそうです。
こちらは最も北の渡し場である北雁木(きたがんげ)跡。大名など身分が高い人達が渡っていたようです。
現在は新幹線、東海道本線、国道1号線、国道301号線と何の苦も無くわたることができます。