12月26日夜から30日にかけて四国を旅行しました。この記事は27日の話です。
明石海峡大橋を眺め
瀬戸大橋を通過して四国へ。
多度津駅
四国の鉄道の要衝、JR予讃線と土讃線が分岐する多度津駅です。
四国鉄道発祥の地であり少林寺拳法発祥の地らしいです。1889年に丸亀ー琴平間において四国ではじめて鉄道が開業し、多度津にはその車両工場が設置されました。現在のJR四国の多度津工場に至っています。
失礼ながら多度津は人気観光地ではないかと思いますが、次の阿波池田行き列車まで1時間弱あるので、駅周辺を探索してみようと思います。
そういえば学生時代に多度津町内の海岸寺というお寺がやっていたユースホステルに集団で泊まったことを思い出しました。初めての町ではないですね。
多度津高校
駅前から伸びる道を進むと、香川県立多度津高校があります。弓道部が強いようです。
多度津町役場
こちらは多度津町役場です。多度津町の人口は約21,200人です。
旧楽天堂薬局医院
グーグルマップでおもしろそうなところを探して歩きましたが、まずはレトロな旧楽天堂薬局医院の建物。
横から見たらこんな感じです。
山本医院
楽天堂薬局の道向かいにある山本医院さん。こちらは現役の病院のようです。大正から昭和初期くらいの建物でしょうか。
どういう意図で設置されたのかわからない黄金の角をもつ鹿の像がユニークです。
JR四国多度津工場
JR四国多度津工場の正門です。もちろん内部に入ることはできません。
とても興味があります。
少林寺拳法発祥の地記念館
少し歩くと少林寺拳法発祥の地記念館がありました。
少林寺拳法は第二次世界大戦後の香川県で生まれた日本発祥の武道で、終戦後の1947年、荒れ果てた社会を目の当たりにした創始者・宗道臣(そう どうしん)氏が「平和で物心ともに豊かな社会をつくろう」と決意して、ここ香川県の多度津で若者たちに指導したのがはじまりだそうです。
さまざまな武道の中では、まだ新しい武道ですが、日本九大武道のひとつに数えられているそうです。
ちなみに九大武道は柔道・剣道・弓道・相撲・ 空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道となります。
私は少林寺拳法は中国の山奥に少林寺というお寺があって、そこが発祥の地だと思っていました。違うんですね。こうやって多度津を訪れて、調べてみるまで全く知りませんでした。
ただ、宗道臣氏は若いときに中国を訪れたことがあり、そこで中国のいろいろな武術を学んだそうです。
ここから少し離れた多度津町内に金剛禅総本山少林寺があります。
少林寺拳法発祥の地の碑。
旧塩田家住宅
さぬき名物一太郎せんべい。
旧塩田家住宅。
商家だったんですね。刀で柱を傷つけたところで刃が傷みそう。
これもまた味わい深い建物です。ところどころにこのような古い建物が残っています。
多度津は江戸時代から栄えていたようです。
江戸時代、多度津藩が陣屋を構え、明治時代には多度津七福神と呼ばれる大商人を中心に交易の町として栄えました。北前船の停泊地として、また金毘羅参りの玄関口として、大量の物資と人が行き交いました。
桃陵公園
古い建物の残る街並みの西側に小高い山があり公園になっているようなので行ってみます。こちらはその入り口にある白髭神社です。
期待通り、多度津の街並みを見おろすことができました。けっこう家が密集しています。
海の方向に造船所が見えますが、今治造船系列の多度津造船(株)だそうです。
遠くに小さく、さきほど快速マリンライナーで通ってきた瀬戸大橋も見えます。
桃陵公園は春になると約1,500本のソメイヨシノが咲き誇り、県内外から大勢の花見客が訪れる香川でも有数の桜の名所として知られています。小高い山の上にあることから、北には瀬戸内海、南には讃岐平野、四国山地を望み、四季折々の讃岐の風景を楽しむことができます。公園のシンボルである「一太郎やぁい」は戦争の悲しさをいまに伝え、眼下に広がる町家と造船所からは多度津の歴史が見てとれます。
モデルコース:多度津で生まれた歴史の足跡めぐり | 香川県の多度津町観光協会
旧吉田酒造場
旧吉田酒造所の建物です。もう使用されてないのでしょうか。ちょっと傷みがうかがえます。
合田家住宅
多度津の中でもひときわ大きな旧家の合田家住宅。
日本遺産に指定されています。以前、北前船の寄港地だった兵庫県の赤穂市の坂越を訪れましたが、ここも寄港地なんですね。そういえば山形の酒田もそうでした。
瀬戸内海、日本海を経由して大阪と北海道を結ぶ北前船は、今からは考えられないほどの経済の大動脈だったようです。
多度津は歩くのが楽しい町でした。
あと1時間くらいあったら町内のさぬきうどんの店に入ってみたかったのですが、駅前のセブンイレブンでおにぎり購入して、次の列車に乗り込みました。
北前船の寄港地関連