NHKの大河ドラマ「どうする家康」で松嶋菜々子さんが演じているのが、家康の母である於大の方です。
於大の方は現在の愛知県知多郡東浦町で生まれました。
東浦町には於大の名にあやかった於大公園があります。東浦町役場の裏手の丘陵地に広がる比較的大きな公園です。
公園の真ん中には池があり、その周りのウォーキングコースを散歩する町民の姿がよく見られます。
公園の中にある於大の方の説明書きがあります。
石に陶板が埋め込まれています。以下、説明書きのまま引用します。
於大 緒川城に生まれる
於大は四代緒川城主水野忠政を父に、於富の方を母として享禄元年 (一五二八)に生まれました。 天文二年(一五三三)於大六歳の時、父忠政が築いた刈谷城に家臣団とともに移ったといわれています。
もともとこの地の領主だった水野家は関ヶ原の戦い後、福山、新宮、結城などの領地を治め、江戸幕府の中でも存在感を示しました。水野忠邦など幕府の要人も輩出しています。
水野家の居城であった緒川城の跡は於大公園近くの住宅地の中にあります。
岡崎城主松平広忠に嫁ぐ
戦国の世にあって父忠政は、織田氏に属しながらも今川方の松平氏と結ぶことで、勢力を保つことを考えました。
その政略として、天文十年(一五四一年)十四歳の於大は岡崎城主松平広忠に嫁ぎました。
竹千代(家康)が生まれる
天文十一年(一五四二年)十五歳の於大の方は、 竹千代(徳川家康)を出産しました。於大の方が出産祈願で鳳来寺を参詣したとの由縁があることから、東浦町と鳳来町は昭和六一年(一九八六年)姉妹提携を結びました。
14歳で結婚、15歳で出産か。😱
伝通院於大の方 逝去する
慶長七年(一六〇二年)京都伏見城で七十五歳の生涯を閉じ、その菩提を弔うため江戸小石川に傳通院が建立され、緒川の善導寺と乾坤院にも位牌が祀られています。
本町が於大の方の生誕地であることにちなんで、この公園を於大公園と名付けました。
竹千代を産んだあとなんの説明もなく、いきなり死んでしまいましたね。間の60年はどんな人生だったのでしょう。
於大の方は竹千代を産みましたが、竹千代は幼くして今川義元に預けられました。
於大の方は竹千代の成長を直接見ることもできず、しばらくは竹千代のことをいつも思いながら過ごしていたとか・・
於大公園の東端に、於大の方の実家である水野家三代の墓があるので行ってみました。
案内図がありました。於大公園、緒川城址、三代の墓の位置関係です。緒川城は水野氏の居城ですね。
林の中に三代の墓がありました。
三代とは水野貞守、賢正、清忠です。
なお4代目の忠政が於大の方の父で、5代目の信元が於大の方の兄、家康の叔父にあたるわけですね。
「どうする家康」では寺島進さんが演じています。
於大公園の花を写真撮影して帰りました。
バラの花が咲いていました。
これはジキタリスかな。