40代前半の頃は勤めていた会社が嫌で、いつも「早く会社やめたいなあ」と思っていました。
その頃読んでいたのが、セミリタイア関係のブログです。今はやりの言葉でいうとFIREですね。
当時は私自身、会社を辞めるのは良くないこと、恥ずかしいことだという思い込みがあったのですが、セミリタイアブログを読むことによって、無理して会社で働くことが人生のすべてではないと思うようになりました。
影響されやすいですね。(笑)
そして実際に退職し、しばらくは日雇いバイトを除けば定職に就かず、ほぼ無職。
その後、今のバイトに巡りあって、現在は正社員時代ほどではありませんが、ほぼフルタイムで働いています。
嫌な会社をやめてストレスから解放され、楽しい日常生活を送れるようになると、正直言ってセミリタイアとかFIREとかどうでもいいですね。😄
日々を楽しく充実して過ごすこと以外に興味はないと言いますか、その後はセミリタイア関係のブログを読むことも少なくなりました。
しかし、最近たまに読んでみると、相変わらずセミリタイア&FIREの定義を巡って、セミリタイア論、FIRE論みたいなものが盛んに語られています。🐽
あとはお金や投資の話が多いですね。
10年前と変わらないあという感じです。
さらにリタイア後に働く働かないの議論ですね。これも変わらないですね。
セミリタイア&FIRE界隈では、リタイア後に働かない者が働いている者より、ポジション的に上であるように主張される人も多いようです。
いかに自分が働いていないか、働かないことに耐性があるか自慢ですね。マウントの取り合いのようです。
滑稽というか、まったく奇妙な世界です。😅
そして「働いたら負け」という言葉もチョイチョイ出てきます。煽りワードみたいなものですね。
有名なセミリタイアブロガーの人生よよよさんくらい確立されたキャラクターならネタとして使っても良いと思いますが、私自身、この言葉にはかなり違和感があります。
というのも、「働いたら負け」はセミリタイア界隈の閉鎖的なコミュニティの中でのワードです。
仮に一般社会でこの言葉を使うと、
「何だ!生活保護の甘い汁でも吸うつもりなのか💢」
「オレは子供を養わんといかんから頑張って働いとるんやけど💢」
「誰のおかげで電気もガスも使えて電車にも乗れるんや💢」
と、総スカン食らいそうです。当然ですね。
(まあ、たしかに働いても働いても税金ばかり取られて生保のほうがラクじゃないかという意見もあるでしょう。)
そして、そもそも働くということは勝ち負けの問題なんでしょうか。
楽しく充実して働いている人は、誰も自分が負けとは思っていないでしょう。
私も仕事は楽しいです。女性が多い職場で、同僚といつもいろいろな話題についてお喋りしながら楽しく仕事していますので、嫌なことはあんまり無いですね。
やりたい仕事もまあまあやれています。
少なくとも負けとは思っていないです。
また、楽しくなくても何とか頑張って会社にしがみついて働いている人も負けとは思っていないでしょう。リストラされたら負けと思うかもしれませんが。
セミリタイア界隈の「働いたら負け」という言葉は考えてみると、リタイアするぞという自分自身の決心の表明なんですかね。
そう考えるとわからない気もしないですが、これは典型的な0-100思考で、その中間がないです。2極化思考とも言いますね。
働かないことに対して変にストイックなのか、自分で自分に意味の無いルールを課して、がんじがらめになっているような気もします。
株価が暴落して資産が減少すれば働かないといけないかもしれませんし、単純に働かない生活に飽きてくるかもしれません。
それで再び働き始めても恥ずかしいことではないですし、そんなこと誰も気にも留めないでしょう。
個人的にはFI(経済的自由)が重要でFIが達成できれば、働き続けてもリタイアしてもどっちでもいいのではないかと思います。人それぞれです。
そして経済的自由がまだじゅうぶん達成されないために補完的に多少の仕事をする生き方もありと思います。
(本当のセミリタイア)
労働が0じゃなくても、5でも10でも50でもいいのではないかと思います。0か100である必要はありません。
他人に迷惑かけなければ、どんなライフスタイルでも良いと思います。
働かないのは個人の自由ですが、「働いたら負け」というような、誤解されかねない言葉は使わない方がいいのではと思います。
きっと会社員時代によっぽど苦しい嫌な思いをした反動なのでしょう。🙄
(昔の私はそうでした・・・)