まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

軍艦島クルーズに参加しました

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長崎1泊2日旅行のメインイベントです。

 

やまさ海運の軍艦島クルーズに参加しました。

 

5社が軍艦島クルーズを行っており、最初は値段の安い別会社を予約しようと思いましたが、私の希望する日時はすでに予約で埋まっていました。

 

そこで残っていたのがやまさ海運のクルーズです。

 

www.yamasa-kaiun.net

 

 

乗船

 

出航30分前には窓口で受付するべきだったらしく、20分前にやまさ海運さんから「今、どこにいらっしゃいますか?」と私のケータイに電話がかかってきました。

 

ちょうど手前まで来ていたので「もうすぐです」と答えました。

 

予約だけだったので窓口で料金をクレカで支払い、誓約書を記入して提出しました。

 

軍艦島クルーズに参加する為には誓約書への同意が必須です。

 

乗るのはマルベージャ号です。97トン、定員220名のわりと大きな船です。

 

軍艦島クルーズ船の中では一番大きいそうです。

 

私たちは出遅れたので、2階の展望の良さそうなデッキ席は、両端を中心にほとんど埋まっていて確保できませんでした。

 

こちらは窓のある1階前方の席です。あまり人気が無いようです。

 

私たちは一階後部の席にしました。

 

予約した時には「残席わずか」となっていましたが、わりとすいていますね。😆

 

と思ったのもつかの間、修学旅行生の大集団がやってきました。この時期は修学旅行シーズンなんですかね。

 

すぐに高校生で満席になりました。高校生には事前に救命胴衣が配られているようです。

 

先生方の話に耳をそばだてていると、これは学校側からの要求みたいです。

 

長崎港内

 

長崎港を出港しましす。

 

艦艇が停泊していました。

 

大型客船の姿もありました。

 

日本で6番目に長い斜張橋である女神大橋の下を通過します。

 

大島造船香焼工場

 

進行方向左手には大島造船の香焼工場です。

 

もともと三菱重工長崎造船所香焼工場で、超大型客船も建造可能な100万トンドックとも呼ばれる造船所でしたが、最近になって会社が変わって大島造船になったみたいです。

 

コロナの時に話題になったダイヤモンドプリンセス号も、ここで建造されています。

 

www.nikkei.com

 

クレーンの中央部にはもともと三菱のダイヤモンドマークがありましたが、すでに消されています。

 

巨大なゴライアスクレーンは3基あり、そのうち1基は1,200トン吊り上げ可能な超大型なものです。

 

長崎半島を左側に見ながら軍艦島を目指します。

 

軍艦島上陸

 

長崎港を出て40分ほどでしょうか、軍艦島が見えてきました。

 

波や風が基準を上回ると長崎市の条例で上陸できないそうですが、幸いこの日は大丈夫でした。

 

年間を通してみると上陸率は50パーセント以下になるようです。

 

台風シーズンや冬場は上陸が難しいのでしょう。

 

中国語ガイドが必要なグループが第1班、日本人の一般客が第2班、そして修学旅行生が第3班、第4班とわかれて上陸しました。

 

見学できる場所は限られています。

 

島の南端に第1見学広場から第3見学広場があります。パンフレットの赤い部分が見学コースです。

 

軍艦島島内

 

軍艦島は通称で正式には端島という名で、もともとは中央にある岩山のみの小さな島だったそうです。

 

明治時代より三菱が開発した海底炭鉱で、今も三菱の所有とのこと。

 

Wikipedia「端島」より

石炭の採掘にともない、人が住む場所や生産設備を置く場所を確保するため、6回にわたって堤防が拡張され内部が埋め立てられ、現在の島の大きさになったそうです。

 

端島炭鉱の閉山は1974年ですので、ちょうど50年が経過しています。人の手が入らないと50年でこうなってしまうんですね。

 

何年か前に見た映画007スカイフォールに軍艦島が登場しました。

 

主人公役のダニエル・クレイグが廃墟アパートをバックに悪党と戦うシーンがあるのですが、その場所はさすがに見られないようですね。

 

しかしダニエル・クレイグがここに来たと思うと感慨深いものがあります

 

www.gunkanjima-museum.jp

 

岩山の上にあるのは貯水槽です。

 

最初は生活用水は海水を蒸留して作られ、その後は船で本土から真水を輸送、人がたくさん住むようになってからはそれでは間に合わず、長崎半島から送水パイプを海底に敷設し、真水を送ったそうです。

 

真水はポンプで山の頂上の貯水槽に送られ、各家庭に送水されました。

 

正面の建物は端島小学校、右手前のH型の柱の列は石炭を桟橋に積み出しするためのベルトコンベアの跡だそうです。

 

昭和30年代の石炭生産の最盛期にはこのちいさな島に5,000人以上が住んで、世界一人口密度が高い場所だったそうです。

 

水はともかく糞尿の処理は大丈夫だったのでしょうか。

 

端島炭鉱は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成要素のひとつです。

 

ここで採れる石炭は非常に質が良く、北九州の八幡製鉄所に運ばれ鉄と一緒に燃やして鉄の不純物を取るコークスとして使われたそうです。

 

しかしエネルギーの主役が石油になり、海外から安い石炭が輸入できるようになると炭鉱の終わりを迎えます。

 

端島炭鉱は海底炭鉱であったため、作業員たちは東京スカイツリーの高さ並みの地下600mへケージというカゴのようなエレベータでおろされ、そこからキロ単位で張り巡らされた坑道で採掘に当たっていたそうです。

 

24時間3交代制の8時間勤務だったそうです。坑内は30度以上で湿度は95%。とても過酷な労働だったらしいです。

 

私は狭くて暗いところは嫌いなので金をつまれてもムリです。

 

その代わり作業員の給料は高く、当時本土では普及率10%だったカラーテレビをほぼ100%の家庭が持っていたそうです。

 

(ただその裏で歴史的にいろいろ闇な部分はあったみたい・・)

 

ただし、各家庭に風呂は無く(幹部社員のアパートには個別の風呂があったそう)、作業者用に海水の風呂がふたつ、真水の共同風呂がひとつあったそうです。

 

一つ目の海水風呂では靴や服のまま入り(そのままだとくっついて靴も脱げなかったそう)、二つ目の海水風呂で体の汚れを落とし、三つ目の真水風呂できれいさっぱりしたそうです。

 

島には生活に必要なものはほぼなんでもあり、病院・交番・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場などがあったそうです。

 

映画の封切りは長崎市の映画館より早いため、長崎からも人がやってきたそうです。

 

無かったのは火葬場と墓地とのことでした。

 

一部で保全工事が行なわれていました。

 

この高層アパート(30号アパート)が、日本で最古の鉄筋コンクリート造高層建築とされる建物で、築108年だそうです。(大正5年1916年竣工)

 

台風の襲来ごとに崩壊が発生、近いうちに崩れてなくなるかもという話でした。

 

山の上の灯台は端島炭鉱閉山後に建てられたものです。

 

人が住んでいる時は建物の明かりで不夜城の様相で、灯台も必要ありませんでしたが、閉山後は島自体が真っ暗なので、灯台の必要性が出てきたそうです。

 

ネットで見聞きして知ったような気になっていましたが、実際にその廃墟っぷりを目の当たりにして、ある種の凄味のようなものを感じました。

 

廃墟・オブ・廃墟、またはキング・オブ・廃墟ですね。😃

 

島は遮るものが無くけっこう暑かったです。マルベージャ号では麦わら帽子の貸し出しも行っていました。

 

自販機はもちろんありませんので、夏場は水筒必携です。

 

ちなみに島にはトイレもなく、上陸前に船の中で済ませておく必要があります。

 

中央の山の上に立つのは幹部社員用アパートになります。

 

階級が低いほど海に近い低いところにある部屋があてがわれたそうで、海が荒れた日には潮がふりかかり、潮ふり街と呼ばれていたそうです。

 

正面の端島小学校の左にある建物が65号棟という軍艦島で最大のアパートです。

 

各アパートにはエレベータが無く、その代わりと言っては何ですが、各棟は渡り廊下で結ばれ、多少移動は楽になっていたそうです。

 

40分ほど島にいたでしょう。帰りの時間となりました。

 

軍艦島周遊

 

けっこうきれいな海です。

 

軍艦島にはクルーズ参加者以外立ち入り禁止のはずですが、何人か釣り人がいたのが気になりました。

 

やまさ海運のツアーではこの後軍艦島の周りを反時計まわりに一周、時計回りに一周します。

 

自由席ですが、混雑していると勝手に席を移ることもできないため、左右どちらの席に座っても公平に軍艦島の姿を見ることができるのは良いサービスだと思います。

 

一周目は日本語のガイドで、二周目は中国語です。

 

中国語はテープではなく、ちゃんと中国語ガイドがマイクを使って生音声で解説しています。

 

そこまで中国人客が多いと思いませんでしたが、いつもはそれなりの数の中国人客がいるのでしょうね。

 

海から見る端島小学校です。6階建てでしょうか。

 

全盛期は島に1,000人の子供がいたそうです。中学校になったらどうしていたのでしょう。

 

ちなみに炭鉱の初期は独身の作業者が多かったそうですが、独身者は自分が食っていけるだけのお金を稼ぐとそれ以上働こうとしないため、生産性が上がらなかったそうです。

 

(既婚ですが子無しのため私も似たようなもの)

 

途中から家庭持ちの作業員を高給で集め、家族と一緒に端島に住まわせるようにしたそうです。

 

家庭持ちは期待通りガンガン働いたそうです。

 

海から見る端島小学校と65号棟。

 

上陸した島の東側、南側が石炭採掘および作業エリアで、北側、西側が住居エリアになります。

 

こちら側のほうが迫力があります。

 

作業船が何かの作業をしていました。

 

 

 

あと、長崎市の協力により2013年に軍艦島内部のストリートビューを公開されていて、立入禁止エリアを含めてかかなり詳細に見られるようになっています。

 

こちらもあわせて見るとおもしろいかもしれません。

 

帰港

 

周遊も終え、長崎港に戻ります。伊王島大橋で長崎半島とつながる伊王島です。

 

女神大橋まで戻ってきました。

 

三菱重工長崎造船所です。

 

下船時に軍艦島上陸証明書をもらいました。私は旅の記念品とかは集めないので写真撮って終わりです。

 

やまさ海運の軍艦島クルーズは早期予約ほど安くなり、私が予約した時で一人4,200円でした。

 

最初ちょっと高いかなと思いましたが、3時間も船に乗れてガイドの説明も聞け、実際に軍艦島に上陸できて、参加して良かったと思いました。

 

やはり百聞は一見にしかずです。実物をこの目で見るのは違いますね。😃

 

 

www.gunkan-jima.net