目次
大阪メトロ一日乗車券
大阪メトロ、市バス(正確には大阪シティバス)が一日乗り放題のエンジョイエコカードを購入し大阪市内を巡ります。一日乗り放題で800円です。
大阪メトロの路線だけでもこれだけあり、さらに大阪シティバスもですから、なんだかワクワクしてきますね。800円は安いと思います。
京橋駅をスタート
長堀鶴見緑地線、堺筋線を乗り継いで恵美須町へ。新世界、通天閣の最寄り駅です。
新世界・通天閣
平日の朝9時半くらいなのであまり人は歩いていません。しかし中国人、韓国人観光客はそれなりにいます。
通天閣に行ったのは子供の頃でしたが、今は地下は土産物屋になっているのですね。ここでも中国人が多くいました。
通天閣は上らずにそのまま南へを歩をすすめます。大阪環状線の下をくぐるとあいりん地区です。
あいりん地区を散策
あいりん地区(あいりんちく)は、大阪府大阪市西成区の北部、西日本旅客鉄道(JR西日本)・新今宮駅の南側に位置する簡易宿所・寄せ場が集中する地区の愛称である。愛隣地区とも表記され、旧来からの地名である釜ヶ崎とも呼ばれる。宿泊料金が安いため、近年はバックパッカーの宿泊地としても人気を集めている。
新今宮駅すぐ南側のあいりん公共職業安定所です。ハローワークですね。このあたりはまだあいりん地区の入口です。あたりはホテルや安宿が多く確かに外国人の姿が多く見られます。
たださらに南へ、南海本線の萩之茶屋駅方面に向かうと、ディープな世界になっていきますね。それらしい人が午前中からたむろしています。
あいりん地区には路上生活者が多く居住している(大阪市内の路上生活者は1,456人[1])。この地域は住所不定の日雇労働者が多いため、人口統計は国勢調査でも明確に把握できていない可能性がある。
NPO団体や宗教団体などが炊き出しなどを頻繁に行っており、実施の際は公園に人が列を作って並ぶことがある。また、この地域の物価(料金体系)は隣接している他地区と比べ、総じて低いのが特徴となっている。
一帯は暴力団事務所が多数ある。
中心は60代の人かと思われます。仕事にあぶれたのか、ウロウロしています。写真は撮っていません。有名な三角公園にも多くの人たちがいました。みんなみすぼらしい格好ですが、なんとなんくのどかな楽しそうな雰囲気もしないこともないです。ちょっと日本離れした別世界のようです。フィリピンはマニラの裏通りのような・・(笑)
もしあいりん地区に行くなら、地味な安そうな服装で行かないと浮いてしまいます。住人かそうでないかはたぶん服装で一発でわかるでしょうね。
最近よく見ているあいりん地区に関する動画です。
私も日雇いで働くことはありますが、ここの日雇いとはまた別物です。あいりん地区では身分素性も明かさず現金収入にありつくことができます。失業給付をもらいながら現金収入を得るために、あいりん地区に日雇い仕事を求めてやって来る猛者もいるようです。ハローワークもこれでは調べようがないですもんね。
私の祖父と父も昔、あいりん地区ではないですが、この近く、同じ西成区の梅南地区に住んでいたことがあるそうで興味をもって散策しました。
昼の飛田新地を散策
あいりん地区の後は飛田新地を訪れました。あいりん地区から徒歩圏内です。飛田新地は名前は知っていますが、実際に行ったことはなく一度行ってみたいと思っていました。
古い町並みが残ります。
売春店ですが外見は料亭の形をとっています。
統一感のある看板を掲げた料亭がずらりと並びます。(笑)
1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も転向以前の雰囲気を残している。大部分の「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向[1]することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。
現在料亭(本来の料亭)として営業している「鯛よし百番(地図)」は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年に国の登録有形文化財となった。
お昼前でしたので営業している店はほとんどありませんでしたが、それでも数軒は玄関が空いていて、照明のあたったきれいなお姉さん(本当にきれいです。芸能人かモデルか!?)が板の間に座り、横に座っている付き添いのおばさんが「お兄さん、遊んで行き~いな」と声をかけてきます。
その気のない私は「こんにちは」と笑いながら通り過ぎましたが(ひやかしですいません)、夜はすごいのでしょうね。どの店も玄関が空き、女の子がショーケースにならんだデコレーションケーキのように鎮座して客を待っているのでしょう。
飛田新地はあべのハルカスから徒歩圏内です。この新旧の違いがなんともいえない面白さです。歴史を感じずにはいられません。
あいりん地区(三角公園)と飛田新地