アイドルと言ってもいろいろあります。ちなみに今回のアイドルは残念ながらこんなアイドルではありません。
自転車競技にはまった学生時代
私は18歳から20代終わりにかけて自転車小僧でした。自転車と言ってもいろいろありますが、主にロードレーサー、つまり今で言うところのロードバイクです。私も当時一生懸命に競技をかじっていまして、強くなりたい思いでいろいろ自転車競技に関する情報を集めていました。
1980年代後半から1990年代前半の話ですので、もちろん今のようにインターネットもありません。情報源は主としてテレビや雑誌、プロショップです。
ツール・ド・フランスの放送がスタート
1985年にはじめてツール・ド・フランスがNHKで放映されました。日本でもそれまでもロードレースはありましたが、メジャーなのは世界選手権V10の中野浩一をはじめとする競輪で、ロードレーサーは超マイナーな存在でした。
放映されたツールはダイジェスト版でしたが、当時高校生だった私は衝撃を受けました。アルプスやピレネーの峠越えを含む大自然を相手にフランス全土4,000Km以上を20日間にわたって競う、こんな過酷でかっこいいスポーツがあるのかと! VHSテープに録画して何回も何回も見ました。
それから自転車競技マガジン(かなり前に廃刊)、今もあるのかな、CYCLE SPORTS や BICYCLE CLUB などを読み漁って情報を仕入れていました。
私は高校生の時は、部活と言えば人に言えない超マイナーな文化部(恥ずかしいので秘密、妻も知りません)でしたが、大学に進んだらバイトしてロードレーサーを手に入れ、ぜひ自転車競技をやってみようと思いました。
1985年は「皇帝」と言われたベルナール・イノーが優勝した年ですが、後にアメリカ人で初めてツールで優勝することになるグレッグ・レモン、教授と言われたローラン・フィニヨンなどがいる時代でした。イノーとレモンの確執、名勝負は今も語り草になっています。
その後ツールは日本でも注目されるようになり、今の自転車ブームのさきがけとなりました。またこのあたりから自転車の機材も大きく進化していきました。カーボンフレームやモノコックフレームの普及、ビンディングペダル、手元変速システム(SIS)、ディスクホイールなどの各種エアロパーツなどです。
自転車に関しては語ると長くなるのですが、ここでは1980年代後半から1990年代前半にかけて私が好きだった自転車選手を紹介したいと思います。私のアイドル的存在ですね。
ロベルト・ビゼンティーニ
ロベルト・ビゼンティーニ(イタリア)
昔はヘルメットをかぶらないのが一般的でした。そんななか金髪をなびかせて走るイタリアの色男、ビゼンティーニはむちゃくちゃかっこよかったですね。ブレーキワイヤの処理が時代を感じさせますね。ジロ・デ・イタリアのリーダージャージ、マリアローザを着ています。1986年のジロ優勝した時のものでしょう。フレームはバッタリン、シューズはSIDI、ウェアはカステリと懐かしいですね。
当時、レーサーパンツは黒しかダメという規定がありましたが、それを無視してカラーパンツをはき始めた最初の選手です。
ジャンニ・ブーニョ
ジャンニ・ブーニョ(イタリア)
1990年ジロ・デ・イタリア総合優勝、1992年世界選手権男子ロード優勝。当時イタリアで大人気だった選手ですね。ツールには縁がなっかったですが、ダンシングでもシッティングでも上体がぶれない走りは憧れました。顔も俳優みたいでかっこいいです。
タイムトライアルのブーニョ選手です。マシーンはビアンキですね。写真を見ると当時最先端だったシマノの変速システムSISを搭載していますね。写真のDHバーは確かグレッグ・レモンが最初に使用したと思います。
エフゲニー・ベリツィン
エフゲニー・ベリツィン(ロシア)
ロシアの金狼とも呼ばれていました。旧ソビエト時代の最後のステートアマ。つまり国家エリートとして育成された選手です。10代から注目されていて、もともとはピスト(トラック)出身で4000m個人追い抜きの記録が確か4分15秒くらいだったと記憶していますが、当時は異次元の速さですね。美しすぎるライディングフォームで憧れです。一時期日本のパナソニックのフレームに乗っていたような記憶があります。1994年のジロで全盛期のインドゥラインを破って優勝しています。
そのほか
私はクライマータイプだったので山に強い選手が好きです。マルコ・パンター二、シャーリー・モテ、ペドロ・デルガド、トニー・ロミンゲルなどなど。万年2位のクラウディオ・キャプッチもいますね。
でも最近はコンタドールやフルームのようにオールラウンダータイプでないと厳しいようですね。