江戸時代の五街道のひとつ、中山道の宿場町があった大垣市赤坂を訪ねました。
美濃赤坂線
JR東海道本線の大垣駅で美濃赤坂行き2両編成の普通電車に乗り換えます。
発車する3番ホームが4番ホームの端っこにあり、気づかずに危うく乗り過ごすところでした。本数が少ないので乗り過ごすと大変。
ほぼ空気輸送。美濃赤坂線は全長5㎞、そのうち3.1㎞は東海道本線と重複するので実質1.9㎞です。
美濃赤坂駅
5分ほどの乗車で終点の美濃赤坂駅に到着です。
大正8年(1919)開業の歴史を持つ、なかなか雰囲気のある美濃赤坂駅。
駅舎もレトロです。1日の利用者数は約300人。
美濃赤坂駅からさらに北へと貨物専用線である西濃鉄道の線路が伸びています。近くの金生山(かなぶやま)で採掘される石灰石を輸送するための貨物専用路線です。
駅前にあった岐阜新聞の営業所。そういえばセンバツの東海地区第2代表はいろいろありましたが大垣日大高でしたね。
赤坂宿
駅から北へと延びる道を歩きます。
中山道 赤坂宿 ウォーキング・ポタリング|大垣・西美濃観光ポータル「水都旅(すいとりっぷ)」
旧中山道との交差点にある史跡赤坂宿の看板。
この場所は北にある谷汲寺に向かう街道、伊勢へとつづく養老街道の起点であることが記されていました。
この道が旧中山道になります。1.5車線幅ですが、けっこう車の往来が激しく歩きにくいです。
赤坂宿本陣跡
赤坂宿の本陣跡がありました。本陣は大名が宿泊する場所ですね。
赤坂港跡
本陣跡から少し行くと赤坂港跡がありました。洋風の建物は歴史資料館になっています。
赤坂港は杭瀬川へと通じ舟運で栄えたそうです。しかし美濃赤坂線の開通とともに舟運は廃れていったそうです。
火の見櫓?
矢橋財閥
中山道の四ツ辻に面して歴史を感じさせる立派な建物がありました。
[62] 矢橋家住宅 | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
まったく知らなかったのですが、こちらは矢橋家という旧家のようです。先祖は嵯峨天皇まで遡り、いわゆる「華麗なる一族」のようです。
矢橋家は矢橋グループとして多くの企業を経営しています。
金生山の石灰石の採掘も矢橋グループの企業が手広く携わっているんですね。
脇本陣跡
こちらは赤阪宿の脇本陣跡。
[25] 中山道赤坂宿脇本陣跡(榎屋) | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
お茶屋屋敷
近くにはお茶屋敷跡という史跡もありました。
徳川家康がこちらで休憩したそうです。
お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって造営した将軍家専用の休泊施設の貴重な遺構です。ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、土塁・空濠で囲み、四隅に櫓を備え、東面中央部には大手門がありました。当時を偲ぶ土塁や空濠の一部が現在も残り、豪壮な居館の構えを伝えています。また、敷地内には数多くのボタンが植えられ、東海地方有数のボタン園として開花時期に公開されています。
[63] お茶屋屋敷跡 | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
内部は牡丹園となっており花の時期には多くの人が訪れそう。
こちらのお茶屋屋敷も矢橋家の所有物だそうです。