四条畷駅
JR学研都市線の四条畷駅。
ここから歩いて飯盛山に登ります。
住宅地のすぐそばに迫っている飯盛山。
しばらくは車道を登ります。
北条神社
北条神社。このあたりは大東市北条です。
きれいなモミジがありました。
飯盛山 三好道登山道
この看板から飯盛山の登山道が始まります。
ちょっと登ると木の間から町が見えます。
途中の見晴らしのいい場所。
岩場がありました。
急登が続きます。
飯盛城跡
山頂直下の石垣です。きっとこれが飯盛城跡ですね。
三好長慶の居城であった飯盛城跡。
三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。
細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立する。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。
飯盛城跡(いいもりじょうあと)は、飯盛山の山頂に四條畷市と大東市にまたがって存在する中世の山城跡です。その規模は南北約700メートル・東西約400メートルを測り、西日本有数のものです。城内には、多くの曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)・土橋(どばし)といった場所が良好な状態で残っています。平成29年4月6日に、公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」のひとつに選定され、令和3年10月11日に国の史跡に指定されました。
この山城は石垣が多くの曲輪で用いられていることが特徴です。これらの石垣は石材をほぼ垂直に積み上げており、なかには数段にわたって築いているものもあります。石垣を多用した城としては織田信長が築いた安土城に先駆ける貴重なものです。飯盛城はもっとも初期に石垣を使い始めた城で、後の時代の城のように石垣の上に直接建物が乗るのではなく、石垣は城を作るために盛った土の押さえであった可能性があり、城の威容(いよう)を示すためのものだったのではないかと考えられています。
飯盛山山頂
山頂にやってきました。飯盛山の標高は314m。
楠正成の長男の楠正行の像。南北朝時代の武将で四条畷の戦いで戦死。
山頂からの眺め。前日は一日雨だったので、この日は空気が澄んで六甲山も良く見えます。
山頂直下の飯盛城址の堀切・土橋。
NHK大阪のFM放送送信所。
帰りは四条畷神社へ下山します。
とても展望のいい道。
四条畷神社
四条畷神社に到着。
四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社。建武中興十五社の一社。大阪みどりの百選に選ばれている。
南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷市民や隣接する大東市民の間では単に「楠公さん」といえば正行や当社を指す場合が多い。1975年(昭和50年)には「楠公」という町名まで誕生し、他にも周辺に楠公と付く地名が複数誕生している。
境内やその周辺には桜が多く植えられており、春は多くの花見客でにぎわう。
四条畷駅に戻ってきました。