近鉄橿原線の八木西口駅です。橿原市内の駅になります。
今井町への最寄り駅です。
今井町
このブログでも書いたことがあるかもしれませんが、私は京都と奈良だと奈良のほうが好きです。
なぜかと言われると難しいですが、奈良のゆったりした雰囲気ですかね。奈良公園周辺を除くと観光客も少なめ、歴史的な町並みや古寺がひっそりと残っています。
寺などの古い建築物を見るなら奈良のほうが見どころが多いし、仏像も奈良のほうが魅力的。国宝建造物も京都より奈良のほうが多いです。(工芸品なども含めると京都)
ただし京都に比べて観光スポットが散在しているのが、観光に関しては不利ですかね。奈良市内から天理、斑鳩、飛鳥、吉野まであります。
私が今井町を訪れるのは3回目ですが、今井町は全国的にはそれほど有名ではないかと思います。
戦国時代に、浄土真宗称念寺の寺内町として発達し、江戸時代になると堺と並ぶ自治特権が与えられた。豪商が軒を連ね、「大和の金は今井に七分」といわれるほどの繁栄をみせた。東西600m、南北300mの範囲に江戸時代以来の伝統的民家や商家が密集し、そのうちの8軒は重要文化財に指定されている。国の重要伝統的建造物群保存地区。
重要文化財の高木家住宅です。
杉玉があるので酒屋さんですね。
町の中にはところどころ古い建物を活かした商店やカフェがあります。
今井郵便局です。
奈良でよく見かける陀羅尼助。胃腸薬で私も子供の頃飲んだことがあります。懐かしいです。
奈良市中心部の「ならまち」界隈より、街並みがよく保存されていると思います。以前に来た時より電線も地中化され、きれいになった感じがします。
しかし観光客が少ないですね。日本人観光客をパラパラみかけるくらいで、外国人観光客の姿は皆無。平日だからですかね。
一方で住民の方の姿はまあまあ見かけました。下校中の小学生もたくさんいました。まるで映画セットのような街並みですが、現在進行形の住宅地でもあるようです。
あんまり観光客が押し掛けるとそれはそれでデメリットも多いのかもしれません。
今井町まちや館の方と話をしましたが、やっぱり昔と比べると整備されかなりきれいになっているそうです。
そして今井町は京都の町屋と違って、間口が狭く奥に長い構造にはなっておらず、ほぼ長方形で裏の家と背中合わせで建っており、風が通らず夏はかなり暑いそうです。
訪れた日も暑く、汗だらだらになりました。
また、大きい家の人は屋敷内に駐車場を持っているそうですが、そうでない人は外部に駐車場を借りているらしいです。今井町内には目立った駐車場は見かけませんでした。
住宅の軒先で飼われていたミドリガメ。噛みますと注意書きがありました。狂暴ですね。
今井町でもっとも古く立派な今西家(重要文化財)です。現在内部の見学は事前予約制です。むかし見たことがあると思います。
重要文化財の豊田家住宅です。
重要文化財の中橋家住宅です。
神武天皇御陵
今井町をはなれ南のほうへと歩きました。たくさんクレーンが立ち並んでいますが奈良県立医科大学の新キャンパスの建設現場でした。
畝傍山の北側ですが、掘るといろいろ出てきそう。奈良県医大病院はアべシンゾーさんがドクターヘリで運ばれたところですね。
両側にうっそうとした緑が広がります。
神武天皇御陵です。正式名称は畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)だそうです。
玉砂利の道を進みます。
畝傍山の北東の麓、橿原神宮の北にある神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。 記紀によると、第一代天皇とされる神武天皇は日向の国(現在の宮崎県)から、瀬戸内海を東に進んで難波(現在の大阪府)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足のカラス、「八咫烏(やたがらす)」に導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位されました。
素朴な疑問ですが神武天皇は実在したんですかね?
神武天皇陵の治定は江戸の元禄期に行われたそうですが、確証にとぼしかったそうです。ただ決まってからはどんどん神格化され修復整備が行われたらしい。
敷地内には宮内庁の管理事務所がありました。
近鉄の畝傍御陵前駅は御陵から徒歩で約10分です。