おっさんのひとりごとです。
- 賛成反対で揺れ動く心
- オリンピック中止の選択肢は無かった
- もはやオリンピックは世界共通コンテンツではないかも
- オリンピック開催とコロナ感染拡大の関係性
- 分断する社会で開催されるオリンピック
- 商業主義的オリンピックの限界
安倍前首相が大見得きって誘致した東京オリンピック2020ですが、すったもんだ多数ありましたが無事に?終了しました。(パラリンピックはこれから)
皆さまいろいろ意見はあるでしょうが、今回のオリンピックについて個人的に整理しようと思います。
賛成反対で揺れ動く心
私はどちらかというとオリンピック開催消極的賛成派でした。決まったことだから、やらなければ仕方がないというスタンスです。
(意見が違うからといっていじめないでね♡)
しかし正直に言うと前回の緊急事態宣言の頃なので5月ごろでしょうか、インドで変異ウィルスが猛威を振るっていたりして、世界的に見ても中止したほうがいいのではと心が傾いていた時期もありました。
やはり完全に賛成反対と言い切れるものではなく、コロナの感染状況や世の中の雰囲気に応じて心は揺れ動きます。多くの人はそうではないでしょうか。
新型コロナウイルス 世界の感染者数・感染者マップ|NHK特設サイト
⇒なんだかんだ言ってさすがNHK。欲しい情報はこちらでかなり手に入ります。
オリンピック中止の選択肢は無かった
ただ原則論を言えばオリンピック開催は国際公約ですし、懸念されるコロナの感染状況も日本は他国と比べてそこまでひどいものではなかったので、中止という選択肢はなかったかと思います。
(世界各国から要請されIOCも動けば別ですが、今年の春以降アメリカとヨーロッパの感染拡大が一時期より沈静化していたことが大きい)
他国も当然参加に向けて準備していますし、日本の都合だけが優先されるものではありません。
ガースー君や橋本聖子氏が開催の必要性をもっと丁寧に説明しなければいけなかったんでしょうが、コロナを克服する人類の結束の象徴とか、わけのわからない抽象的な言葉でごまかしてきたのがいけないんでしょうね。
はっきりと五輪開催は国際公約で、中止にした場合には国際政治的に日本国の信用を失い、短期的・長期的経済損失はこのくらい、だから安心安全に留意してやります!ときっちり説明すればよかったのではと思います。
もはやオリンピックは世界共通コンテンツではないかも
終わってみれば日本人選手の活躍もあり、アスリートの涙にもらい泣きしそうになったり、競技そのものの魅力はやはりありますね。
個人的にはオリンピックをやってよかったと思います。組織委員会や東京都、ボランティア、各競技団体などの尽力の賜物ですね。
ただ歳のせいか、私自身とオリンピックの向き合い方もそこまで熱の入ったものではなかったかもしれません。
これは私のテレビ離れの影響が大きいと思います。生で見たのは日本が金メダルをとったフェンシングエペの団体戦の後半、男子自転車ロードレース、男子サッカーのスペイン戦くらいですかね。
あとはダイジェスト放送ばかり。野球もネットニュースの字幕速報で追いかけていたくらい。
本当なら地元開催なのでもっと熱く応援するべきかもしれませんが、実際はそうでもなかったですね。
したがってオリンピックが終了したことによるオリンピックロスもあまり無いです。
TV離れしている若い世代の人は、オリンピックに思い入れのある人は少ないんじゃないでしょうか。
昔と比較して、オリンピックというコンテンツが全日本国民、全人類の共通コンテンツではなくなってきているかと思います。
これも反対意見が強かった理由かもしれません。
前回の東京五輪のときは開催反対というと非国民か!という雰囲気だったことでしょう。
オリンピック開催とコロナ感染拡大の関係性
オリンピック開催中にコロナ新規感染者の数が爆発的に増えたのは事実です。
ただこれをオリンピック開催と関連づけて評価するのは難しいと思います。選手、役員を含めた感染者はそこまで多かったとは言えないし、オリンピックにより他国からウィルスが持ち込まれて感染が広がったというわけでもありません。
オリンピックのスタートと同じ時期から爆発的に広がり始めたので、感染の機会はそれより前にあったのではないかと思います。
またオリンピック開催しているのに自分たちだけが自粛するのが馬鹿らしくなって感染が広がったという意見もあります。確かにそういった面はあるかもしれませんが決定的理由ではないと思います。
もしそうだとすれば、もともとその程度の感染防止意識しか持ち合わせていないことが問題だと思います。
(わたしも完璧かと言われればそうでもないですが・・・)
分断する社会で開催されるオリンピック
五輪延期が決まった昨年からオリンピック反対!の声は多くありました。だいたいネガティブな意見ほど声が大きいものです。必ずしも世相すべてを表したものではありません。
ただ職業的に反対する人たちは置いといて、反対すること自体は当然人によっていろいろ考えがあるので理解できます。コロナ感染拡大の心配があるから反対というのも至極当然です。
ただ今回は選手個人に対するSNSでの誹謗中傷が問題になりました。今に始まったわけではありませんが、だんだん個人攻撃が目に余るようになってきましたかね。
オリンピックで脚光を浴びる選手に対して、自身の境遇と比べて嫉妬心を持つのか分かりませんが、個人への誹謗中傷はきわめて非生産的行為です。
これは人間関係が希薄になりがちな、現代社会の陰の部分を投映したものではないかと思います。オリンピックに限った問題ではないですね。
本来なら誰しも生きがいを持って幸せを追求できる社会になるべきですが、必ずしも現状そうなっていない。フラストレーションが渦巻いているんですかね。
誹謗中傷を行う者がもちろん悪いのですが、それを生み出す社会的背景があるのではないでしょうか。誹謗中傷に対して罰則を設けるのは効果があると思いますが、教育だったり格差社会の是正だったり根本的解決は遠いかもしれません。
人間いったん負のスパイラルに入ると一人では簡単には抜け出せません。
余裕がないとオリンピックどころではありませんし、他人の成功や幸せを素直に喜べなくなってきます。
商業主義的オリンピックの限界
開会式のあいさつで、ぼったくり男爵ことバッハIOC会長が「多様性」と「連帯」を何度も何度も口にしていました。
もしオリンピックが多様性と連帯をうたうなら、一部関係者のみが潤うオリンピックではなく、より多くの人がメリットを享受できるオリンピックにしなくてはいけないのではないでしょうか。
具体的にはチケット収入や放映権料、スポンサーからの協賛金の一部をユニセフや赤十字を通じて、オリンピックの恩恵を受けにくい地球上の困っている人たちに分配するとかですね。世の中の影の部分に光を当てるようなオリンピックが良いと思います。
(24時間テレビのインターナショナル版になっちゃうか。でもあれはやらせだけど、オリンピックは真剣勝負。)
いずれにせよ金儲けオリンピックを追求しすぎると、金持ちのための世界大運動会かとシラけてきます。
口先だけの平和の祭典でなく、なんかあらためて崇高な目的と実際のアクションが欲しいですね。
あと地球環境のためにも開催地はギリシャのアテネ固定で良いと思います。都市レベルでオリンピック誘致するのはリスクと負担が大きすぎです。