まーきちの人生暇つぶし

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

道後温泉とB級スポット? な石手寺

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高知から高速バスで松山移動し、午前中は松山城を見学しました。

 

 

道後温泉


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愛媛松山と言えば道後温泉。道後温泉駅前です。四国で一番人気の観光地ですかね?


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駅前は観光客で賑わっていました。温泉で年越しする人も多いのかもしれません。


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道後温泉は学生時代に一度来たことがあります。でもお土産物屋などが店じまいした夜に来て風呂に入っただけで、滞在時間はほんの1時間くらいでした。


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正月に備えて日の丸が掲げられた商店街を歩きます。3年ぶりにコロナの行動制限がない年末年始です。感染者は順調に増えていますね。😅

 

私も満員のバスに乗ったり、人混みに行ったりで、そのうち天誅が下ることでしょう。


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駅から歩いて5分ほど、道後温泉本館にやってきました。


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ただいま絶賛工事中でした。おかげさまで建物正面からの写真は撮ることはできませんでした。

 

(お風呂は入れるようです)


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こちらは別館の椿の湯。


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同じく別館の飛鳥乃湯温泉です。

 

湯神社


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道後温泉本館にも近い湯神社です。


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道後温泉の守り神みたいです。

 

湯神社

 

祭神は、道後温泉を開いた大己貴命と少彦名命の二神である。

 

当社は、延喜式内社で、社伝によれば、 景行天皇が皇后八坂入姫と共に行幸の 際に鷺谷の大禅寺の前に創建したと伝えられている。その後舒明天皇行幸に際し 命により社殿を新築した。その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられている。

 

大永七(一五二七)年の地震で温泉が埋没した際に、須佐之男命と稲田姫命を祀る 延喜式内社出雲崗神社境内(現在の冠山) に移され、いつしか合祀して四社大明神と 呼ばれるようになったという。

 

湯神社では、地震などで温泉が止まるたびに、神楽を奉納して祈願してきた。 宝永四(一七〇七)年の地震では藩主の名で「湯祈祷」が行われ、以後中断しつつも今日まで続けられており、正月の初子の神事とともに世に知られている。

 

松山市教育委員会

 

これを読んでみると、昔から松山はたびたび温泉の湯が止まるほどの大きな地震に見舞われているんですね。

 

伊佐爾波(いさにわ)神社


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絶望的な石段の先に見える伊佐爾波神社に行ってみます。階段の途中でお婆さんがヘタレこんでいましたけど、最後まで登れたのかな。私の20年後の姿かな。😮


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石段の頂上からは温泉街がきれいに見えました。


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本殿で参拝。お金持ちになりますようにと祈りました。

 

伊佐爾波神社

 

伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、 『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神して・・・」、『日本書紀』に「建内宿禰に命琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄なという意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。 延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。 社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。

 

当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、 加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久 の祈願所となったという。

 

現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主 の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、 その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の 石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。

 

松山市教育委員会

 

湯築城跡


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実際に歩いた順とは異なるのですが、こちらは国指定史跡の湯築(ゆづき)城跡。松山城とともに日本100名城のひとつになります。

 

以下Wikipediaのコピペで失礼します。引用ばっかりですね。😅

建武2年(1335年)前後、伊予国の守護であった河野通盛の代に築城され、一族本貫の地である風早郡河野郷(現松山市河野)より移住した。

天文4年(1535年)頃、通直(弾正少弼通直)によって外堀が造られたとされる。

天正9年(1581年)以後、四国征圧を狙う土佐国の長宗我部元親が伊予国に侵入し、通直(牛福丸通直)は元親と交戦した。

天正13年(1585年)、四国征伐をめざす羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して金子城主の金子元宅を攻撃の末滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城に留まっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。

天正15年(1587年)、福島正則が城主となるが、程なく国分山城に居城を移したため、廃城となった。

慶長7年(1602年)、勝山(城山)に松山城の築城が開始され、以降加藤氏(のち蒲生氏、松平(久松)氏)が伊予国松山藩主となる。建築にあたっては、湯築城の瓦等の建材が流用されたことが発掘調査により判明している。

明治21年(1888年)、県立道後公園として整備される。

平成14年(2002年)9月20日、国の史跡に指定される。

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(80番)に選定された。

 

松山城の築城前からあるかなり古いお城なんですね。


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復元された武家屋敷がありました。


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お取り込み中、お邪魔しま〜す。


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ここに天守があったのでしょうか。


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頂上には展望台がありました。


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午前中に見物した松山城が見えました。

 

湯築城跡ですがきれいな二重の堀があります。

 

石手寺


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道後温泉中心街から歩いて15分ほどのところにある石手寺にやってきました。


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重要文化財指定の三重塔は鎌倉期のもの。由緒正しきお寺のようですね。

 

石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第51番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。

初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。

ja.wikipedia.org


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仁王門は国宝指定。

 

ちょっと違和感


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石手寺ですがところどころで違和感を感じます。


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???


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象のハリボテ?


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満面の笑み。勝ち誇ったポーズ?


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オン アミリタ テイゼイ カラウン  アミリタテイゼイはどうも阿弥陀如来のことみたい。


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異国風ですね。


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石灯籠も何かが違う。


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これも。


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いろいろな仏様のレリーフがありました。


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それがいくつも😅 仏教のテーマパーク ?

 

第二洞窟


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霊験あらたかな洞窟があるようです。入場料100円を払って中に入ってみることにします。


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洞窟の入り口です。


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階段になっています。その先は狭くて暗くてまったく何も見えないんですけど。😭


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なんとか洞窟を抜けると部屋が現れました。


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御仏様を前に座禅を組むありがたいお部屋のようです。


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外に出ると立派な石像群がありました。ありがたやー。


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しかし石仏は日本のそれではなく、インドやタイにありそうな感じ。


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何を目指しているのか、よくわからないお寺さんですね。

 

(※実は洞窟をまともに歩かずに、外からまわってズルしました。ちなみに第1洞窟はどこにあるのかわかりませんでした。)

 

宝物館


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宝物館がありました。入館料200円です。


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宝物館案内です。重要文化財クラスが展示されているようです。

 

1,玉の石(寺名由来石) (現在講堂出展)と旧寺名札

2, 石手寺縁起練供養 古面三十数点(重文) 鎌倉期~

3,弘法大師由来の宝額 石剣 (重文) 掛佛 (重文) 4毛髪大曼荼羅・十二天

5, 本堂護摩堂・仁王門 等・棟札 (重文)

6, 道後温泉制札(重文) 蛇骨 (七不思議)

7,古墳出土土器・並当山出土瓦(創立期

8,四国八十八箇所旧地図・納経帳一上人御真筆・河野家家系図

9, 石手寺古文書(重文) 石手寺古図 練供養絵図


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館内です。なかなかカオスな空間でした。


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宝物??


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ちょっと怖い。


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実は私、大きく開いていた出口から宝物館とは知らずに入ってしまって出口で有料だったことを知ってびっくりしました。お金を箱に入れていません。😂


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石手寺、かなりカオスなお寺でした。

 

グーグルマップのコメント欄に「まじめにお寺やってください」というコメントが目に留まりましたが、そういう声が出てくるのも分からないでもないです。

 

有名寺院にしては珍しく雑然としていて、備品とかがそのへんにほったらかしになってたりするのが気になりましたw

 

でもこれはこれでいいのかなと思いました。全国にたぶん何万というお寺がありますが、こういう個性的なお寺があってもよいかと思います。