まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

JR関西本線平野駅の周辺を歩く 大念仏寺・杭全神社ほか 

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大阪市平野区、JR関西本線の平野駅にやってきました。むちゃくちゃ暑くて死にそうです。

 

 

チョコザップ平野店


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あれっ、駅前にチョコザップがありますね。ちょっと寄ってみることにしました。


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なかなかマシーンの多い充実した店舗ですね。


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ゴルフの練習コーナーもあります。


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セルフエステのマシーンが4台あります。


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脱毛マシーンも4台あります。

 

チョコザップではエアロバイク15分と筋トレ15分、合わせて30分トレーニングしました。

大念仏寺

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奈良経由で大阪と名古屋を結ぶ国道25号線です。くそ暑いです。


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大念佛寺にやってきました。


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大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある融通念仏宗の総本山の寺院。山号は大源山。本尊は十一尊天得如来(絵像)。創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。

大念仏寺 - Wikipedia

 

融通念仏宗というのがあるんですね。初めて耳にする名前です。日本の仏教は十三宗五十六派あるそうでうすが、十三宗のうちのひとつになるようです。

十三宗五十六派 - Wikipedia

 

北斗の拳の南斗聖拳108派みたいだな。


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山門です。山号は大源山。


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本堂は工事中でした。


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ただいまの参拝は左隣にある瑞昇閣となります。

 

平野本町通商店街


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南の方へ歩くと平野本町通商店街に出ました。


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愛称はサンアレイだそうです。シャッターが下りている店もありますが、まだ活気のあるほう。

 

地図で見てみると、こちらの商店街はどこの駅にも接していないようですが、1980年まで南海電車平野線の路面電車が走っていて近くに終点の平野駅があったようです。

 

その名残なんでしょうかね。

 

南海平野線 - Wikipedia

 

 

小林新聞舗店舗兼住宅


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商店街の中にある歴史を感じさせるひときわ重厚な建物。


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登録有形文化財の小林新聞舗店舗兼住宅です。新聞販売店の建物なんですね。ネット情報によると月に1日だけ新聞屋さん博物館として開放されるそうです。


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マツコの知らない世界にこちらの方が出演されたそうです。


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新聞の自販機がありました。

 

このすぐ近くに先日紹介したユニークな全興寺がありました。

 

tamikiti67.hatenablog.com

 

杭全神社

 

平野駅の東南に杭全神社があるので行ってみました。「杭全」は大阪でもなかなかの難読地名ですね。

 

「くまた」と読むようですね。

 

貞観4年(862年)、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が牛頭天王(素盞嗚尊)を勧請し、現在の第一本殿である祇園社を創建したのが最初と伝えられている。

 

建久元年(1190年)には現在の第三本殿である熊野證誠権現(伊弉諾尊)を建立する。元亨元年(1321年)には現在の第二本殿となる熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を建立して諸殿を修復し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の詔勅を賜って祇園社を中心としていた当社を熊野権現の総社に改めている。

 

明治時代になると神仏分離によって仏教関係のものは概ね長宝寺に移された。1870年(明治3年)、熊野権現社の総社とされていたのを改めて本来の祇園社を本社、熊野三所権現を雑社熊野神社とし、證誠殿を摂社、田村堂を別社として社名を平野熊野三所権現から杭全神社に改めた。

杭全神社 - Wikipedia

 

由緒ある神社のようです。平野区のこのあたりは、かつては堀をめぐらした環濠都市で、平野郷と呼ばれたそうです。

 

平野 (大阪市) - Wikipedia

 

拝殿です。この奥に本殿があります。

 

とりあえず拝殿でお参りします。

 

第1から第3本殿はこの内部にあります。

 

隙間から写真を撮りましたが、こちらが第3本殿ですね。

 

3棟の本殿すべて重要文化財に指定されています。第2、第3が室町時代の建物。第1が元禄時代の建立の春日大社第三殿を移築したものになるそうです。

 

各本殿の祭神は以下のようになります。

第一本殿 - 素盞嗚尊(牛頭天王)
第二本殿 - 伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊(熊野三所権現)
第三本殿(証誠殿) - 伊弉諾尊(熊野證誠権現)