まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

大阪ぶらり街歩き 太閤下水と空堀商店街

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大阪城公園を散策した後、近鉄に乗車するため上本町まで歩くことにしました。


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大阪城の近くに、豊臣秀吉の命によって建設されたという中世の下水路、「太閤下水」を見に行くことにしました。

 

太閤下水は先日、大阪市下水道科学館の展示説明でその存在を知りました。

 

tamikiti67.hatenablog.com

 

太閤下水


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太閤下水見学施設は南大江小学校の隣にありました。


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歩道には立派な案内柱もたっていました。


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窓がついたこの箱状のものが見学施設ですね。


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ガラスが汚くてよく見えないです。💦


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説明書きがありました。

 

豊臣秀吉による大坂城築城の際に原型が造られたと言われている石積の下水溝です。

 

豊臣秀吉が大坂城築城に着手したのは、天正11年(1583年)のことでした。

 

町づくりにあたっては、大阪が、淀川・大和川のデルタ地帯にできた低湿な土地であったので、道路整備と同時に町屋から出る下水を排水するための下水溝が建設されました。

 

東西の横堀川に囲まれた城下町は、大坂城に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られ、その道路に面した建物の背中どうしのところ(裏口)に下水溝が掘られました。この下水溝は「背割下水」、あるいは太閤秀吉にちなんで「太閤下水」と呼ばれています。当時の大阪は、この太閤(背割)下水に挟まれた約40間(72メートル)四方の区画が町割りの基本となっていました。

大阪市:太閤(背割)下水見学施設 (…>施設情報>施設情報のお知らせ)

 


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説明書きにあった太閤下水の写真ですが、ガラス越しに壁の石組みが少し見えていたわけですね。

 

400年前の下水道が今も現役で使用されていると思うと凄いですね。

 

こんな昔のインフラを探して歩いていると、まるでブラタモリみたいだなと思っていたら、タモリさんもブラタモリで実際にここを訪れているようです。

 

www.nhk.jp

 

松屋町


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太閤下水からもほど近い松屋町。


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おもちゃ問屋が人形屋が並ぶ通りですが、たぶん私は初めて来ました。


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夏祭りの景品に使うようなおもちゃを販売。花火やこの時期のクリスマス装飾品を扱う店が多くありました。

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途中、UHA味覚糖の本社がありました。内部になにやら展示施設があったみたい。入ればよかった。

 

prtimes.jp

 

空堀商店街


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空堀商店街です。大阪のローカル放送でときたま街頭インタビューの場として出てきますので、その名前は知っていました。こんなところにあったんですね。


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毎日がおつき愛の町。


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レトロな雰囲気です。西から東に向けてかなり坂になっているのが特徴的です。上町台地の斜面上にあるんですね。


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タワーマンションも多いエリアですが、昔ながらの商店街とのギャップがおもしろいです。

 

居抜きで入ったと思われる今どきのカフェなんかもあって、レトロながらも新旧入り乱れている感じです。


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ちょうど小学生の帰宅時間のようです。ずいぶん都会に住む小学生たち。

 

近松門左衛門の墓


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グーグルマップを見ながら歩いていると、近くに近松門左衛門 (1653-1724) の墓があるようなので行ってみることにしました。


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こちらがそうですね。国指定の史跡になっているようです。ずいぶん町の中のこじんまりとした土地にあるものです。

 

近門左衛門の生涯については不明なことが多いが、承応(じょうおう)2年(1653)福井に生まれたという。青年期は京都で浄瑠璃と歌舞伎作者として活躍、若き日の竹本義太夫(たけもとぎだゆう)とも出会っているといわれる。

 

そして義太夫が大坂に出て独立した後、彼といっそう密接になり大坂に招かれて移住「曽根崎心中」にはじまる世話物浄瑠璃の作者として大いに名を上げた。墓は法妙寺境内にあったが、同寺移転のため、現況のように建物の間(高層住宅とガソリンスタンド)の墓所となっている。享保(きょうほう)9年(1724)没、72歳。

大阪市:54.近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)墓 (…>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習)


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こちらがお墓です。

 

チョコザップ谷町九丁目店


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上本町駅の手前、谷町9丁目にあるチョコザップで軽くトレーニングしました。

 

上本町からは近鉄で愛知へ帰りました。