まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

「推し」は一種の依存症? 一点集中型の危険性

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「推し」という言葉が市民権を得てきています。

 

もともとは「イチオシ」から派生した言葉ですが、「推し」は類似のモノの中で最も応援すること、応援するモノという意味で用いられています。

 

WEB特集 “推し”こそ我が人生 | NHKニュースwww3.nhk.or.jp

 

NHKのニュースWEBの記事では

 

何かを好きになり、応援する“推し活”。

コロナ禍で仕事や暮らしへの不安や気苦労が絶えない今だからこそ、“推し活”のポジティブシンキングで、あなたも元気をもらってみませんか。

 

不安多き時代だからこそ、心の安全弁として“夢中になれるもの”を持つことの大切さを実感しました。

 

とあります。

 

記事の中では3人の一般の方が紹介されています。記事を読んでいるとその「推し活」はちょっと依存レベルかなとも思います。

 

一般に推しの対象は俳優さんだったりアイドルグループのメンバーだったり、スポーツ選手だったりです。また実在の人物に限らずアニメなどの二次元だったりもします。

 

さらには宝塚だったりサッカーの〇〇チームだったりと個人だけではなく組織だったりします。

 

 

私は記事にある

 

「推し活」「元気をもらう」「推しこそ我が人生」

 

に、違和感を感じます。

 

元気は他人からもらうものなのかな? 

自分の人生が他人を推すだけでいいのかな? 

NHKが推しの危険性には触れずに積極的に推奨していいのかな?

 

 

「推し」にも程度があって、かるい「推し」ならいいですが、好きな俳優の出る舞台はチケット全公演分買って家庭も顧みずに全国飛び回ったり、下手すれば借金して「推し」関連のグッズを買いそろえたりする人もいるでしょうね。

 

最近はSNSの世の中なので、どれだけ推しにお金を貢いだかを競うオタクたちのマウント合戦も行われているかと思います。

 

 

他人のやることなのでとやかく言うのはよくないですが、あえて言わせてもらうと自分でコントロールできないものに熱中しすぎるのはあまり賢くないと思います。

 

(極端な話パチンコといっしょ)

 

「推し」は趣味としては受け身すぎて、自分が工夫したり作り出したりするクリエイティブな要素がほとんど無いですし、例えば推しの対象が活動をやめたりしたら、ハイそれでオシマイです。

 

後には何も残りません。残らないどころか〇〇ロスとかになって、負の感情だけが残ってしまうかもしれません。

 

”推し活”でお金貢いでドーパミンドバドバで一時的に幸福感を味わうことはできるかも知れませんが、ギャンブル同様、ドーパミンには依存性があると思うのです。

 

しかも最近は芸能、スポーツも含めどの分野も、限定グッズの販売やスペシャルシートなど、コアなファンにいかにお金を使わせるかに注力しています。

 

Jリーグの試合はDAZNに高いお金を払わないとテレビで見ることができません。お金を出すのはコアなファンだけ。

 

(ファンの裾野を狭めているんですけどね)

 

また昨年のことでしたか、楽天イーグルスに所属するまーくんの180万円のファンクラブ特典なんかもその例ですね。

 

田中将大のファンクラブ、なぜ180万円に? 担当者が明かす"高価格化"戦略の裏側 | Full-Count

 

 

 

私自身はほんとうにつまらない男で、特定の人を応援したいとかいう気持ちになったことは無いです。

 

「この人すごい才能だなあ」と感心することはよくありますが、お金貢いでまで応援したいという感情は湧いてこないです。

 

野球やサッカーの試合を見に行っても応援というよりは、選手のプレーそのものを見たり、試合会場の雰囲気やまわりのファンたちの様子を観察して楽しんだり。

 

好きなアーチストとかミュージシャンもいますが、ライブに行ったとしても応援というより、お金を払う、パフォーマンスを見せてもらうの対等な関係で、それ以上のものを求める気持ちは特にないです。

 

グッズも買いません。

 

つまらないやつといえばつまらないのですが、個人的にはそれでいいと思っています。

 

そのほうが他にもお金を使え、いろいろなことを楽しめるんですよね。

 

 

イチローや大谷選手、または学者さんのような、その道を究めるような人は一点集中型でいいと思うんですが、私のような凡人は広く浅くのほうが向いているような気がします。

 

趣味もそうですね。

 

若い時は自分の可能性を信じて、一点集中でスポーツにしろ音楽にしろ高みを目指して挑戦していくのはいいと思いますが、凡人は年齢を重ねるにしたがい、なるべく意識的に守備範囲を増やしていくほうが豊かな人生になるような気がします。

 

 

「いろいろなことを楽しむことができる、その素養がある」

「幅広い知識と経験を結び付けて考えることができる、その結果何かを生み出すことができる」

 

 

それが「教養」なのかと思います。

 

 

私がテーマを決めずにつまらない雑記ブログを書き続ける理由のひとつです。日々インプット⇒思考する⇒アウトプットです。

 

 

以上、推しのいないさみしいオッサンのひがみ記事でした。

 

 

tamikiti67.hatenablog.com