帰省中の実家で午前中テレビを見ていると、健康食品のCMを延々とやっていて、ほんまに効くんかいな?と疑いの目で見ている私がいます。
健康食品のおかげ?でイキイキと暮らす年寄りたちの姿が映ります。そこで長野県の佐久市が紹介されていました。
長寿県である長野においても佐久市は特に長生きの人が多く、市ではPPK運動というのを行っているそうですね。
PPKはピンピンコロリの略で、死ぬまで元気で死ぬときはコロリと苦しまず死のうということだそうです。
逆にNNKというのもあって、こちらは死ぬまで寝たきり、ネンネンコロリだそうです。
うまいこと言いますね。😀
うちの父親はまだ生きていますが、認知症でメシを食うとき以外はベッドで寝てばかり。一人前のNNKですね。
私の場合、NNKにはなりたくないですが、実はPPKにもなりたくないですかね。
ピンピンはいいですが、コロリは要するに突然死。独り身だとコロリ=孤独死ですね。
終活や身辺整理ができて死んでいくのならいいけど、片付けができないまま死ぬのはどうかなと思う。
そして死ぬ前には死を迎えるまでの時間をゆっくり味わって死んでみたいとも思う。
あー、俺ってもうすぐ死ぬんだーwと。
余命半年くらいと言われるのが理想的なような気がします。
死期がわかればそこに合わせて、残りのお金の一部(300万円くらい?)をつぎ込んで、お金のせいで今までやらなかったことをできるだけやってみますかね。
(体力が残っていれば)これまであまり縁のなかったキャバクラに夜な夜な行くとか、ロブションや銀座久兵衛で食事するとか、ライブや舞台三昧とか、JRの四季島や瑞鳳に乗るとかですね。
そして人生最後の一ヶ月は私のこのブログを最初から最後まで読んで、これまで旅行したところや人生のできごとを振りかえります。
転職ばかりで出世もせず、さらには中高年バイトで、友人も少なく金持ちにもならなかったけど、親にも妻にも恵まれ、自由に生きてこられて良い人生だったなあと感慨にふけりながら死んでいきたいですね。😀
これが私の考えるPPKでもNNKでもない理想的な死ですかね。
でも現実はそううまくいくわけではないですよね。
先日、「ガンは放置せよ」の近藤誠医師がなくなったというニュースから、芋づる式に川島なお美さんや、スキルス性胃がんで亡くなられた逸見政孝さんのWikipedia記事を見ましたが、ガンとの凄絶な闘いをされた逸見さんの記事を読むとコロリや安楽死もアリだなと思いました。
どっちやねん。
しかし逸見さんは48歳で亡くなられたんですね。ずいぶんお若かったんですね。私なんか大したことは何もしていないのに、年齢だけはいっちょまえの52歳。
ま、私が死ぬのは何年後かわかりませんが、その時に人生悪いものでもなかったなあと思えるよう、これからも一日一日を大切にしよう。