1月8日の日曜日、京都市内をガッツリ歩きました。
コースは四条烏丸ー二条城周辺ー千本丸太町ー北野天満宮ー金閣寺ー鷹ヶ峰ー大徳寺ー船岡山ー御所ー四条烏丸ー京都駅です。距離にして約20kmです。
一つの記事でまとめるともったいないので、3回に分けて小出しにしていこうと思います。
御金神社
四条烏丸のホテルを出発。まずは御池西洞院の近くにある御金(みかね)神社に立ち寄りました。御金神社は金色の鳥居が目印の小さな神社です。
午前10時頃でしたが参拝の順番を待つ人たちで長蛇の列です。警備員も出ています。
金運・招福、金運上昇、資産運用、事業の御発展や商売繁盛、金融、証券・株取引や不動産、宝くじ、ギャンブルの成功など、あらゆるお金にまつわることにご利益があるそうです。
みんなお金持ちになりたいんですね(笑) 御金神社は単にお金の神様だけでなく、近くには鍛冶屋や金属加工業者が多かった釜座通りがあることですから、金属の神様でもあるようです。
二条陣屋
京都の有名観光地、元離宮二条城。世界遺産です。
余談になりますが、二条城周辺のコインパーキングの料金に目の玉が飛び出そうになりました。京都ではこれが普通?
二条城の近くの住宅街にある二条陣屋です。重要文化財指定で見学は事前予約が必要。現在も当主がお住まいになっているそうです。
たぶん見学したとしても、間違いなく緊張すると思います。きっと自由見学でなく案内してくれるんでしょうけど、きちんと予習してから行かないとダメですね。アホがばれる。(笑)
神泉苑
こちらも二条城の南側にある神泉苑で初訪問。延暦13年(794)、桓武天皇により造営されました。
平安貴族の宴がここで行われていたようです。
京都の東西のメインストリートのひとつ御池通の名前の由来は、こちらにある池によるものと書かれています。なるほど。
鵺大明神
二条城の北西にある二条公園です。その一角に鵺大明神があります。「鵺」の漢字が読めないので訪れようと思いました。
調べると「鵺」は「ぬえ」と読みます。読めたところでぬえの意味がわかりませんが、この字を知っている人いるんですかね。
鵺は日本に伝わる妖怪、物の怪だそうです。
『平家物語』などに登場し、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇。文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で足が狸、尾は狐になっている。さらに、室町時代には頭が猫で胴は鶏のものが出現したと書かれた資料もある。
鵺大明神とありますが、大明神の名とは異なり、小さな祠と鳥居があるだけの小さな神社です。
平安時代、このあたりは時の政府の中枢部や天皇の住まいなどがありました。そんな場所で深夜怪しい鳥の鳴き声がし、近衛天皇(1139年6月16日〈保延5年5月18日〉- 1155年8月22日〈久寿2年7月23日〉)が非常に怖がったそうです。そこで弓の名手だった源頼政が射落すと正体は鵺だったそう。
ホンマか!?😮
トラツグミは鵺の正体と言われている鳥です。夜に気味悪い声で鳴くそう。
千本丸太町交差点
鵺大明神からほど近い千本丸町の交差点にやってきました。
交差点にある看板に色々おもしろい事が書いてありました。
千本通りの名前の由来ですが、北にある船岡山が死者埋葬の地で、夜な夜な死者の亡骸を今の千本通りを通って運んでいたそう。その道すがら卒塔婆が建てられ、その数が数え切れないほどになったから千本通りと呼ばれることになったようです。
応仁の乱もありましたし、京都はいたるところ、今で言う事故物件のようなものだと思います。ダークな伝説には事欠かなさそう。
さっき立ち寄った鵺大明神の事も書いてありました。
平安京大極殿跡
千本丸太町交差点から西北に少し入った何の変哲もない公園ですが、ここも平安京にとって非常に重要な場所。
ここが平安京の大極殿跡になるんですね。国指定の史跡になっています。
ついつい今の御所のあるあたりが平安京の中心かと思ってしまいますが、実際はもっと西よりなんですね。
御所は赤い四角の右上部分でになります。
5年間京都に住んだことのある私のイメージでは、現在の京都の中心は北大路、東大路、五条通、西大路に囲まれた範囲です。プラス京都駅周辺。(個人の意見)