まーきちのお気楽生活

正社員からバイト暮らしを選んだ旅好きなおじさんの日記

親父を見送って

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親父が17日(月)に90歳で逝きました。

 

このブログは個人的な記録でもありますので、ちょっと辛気臭くなりますが書き留めておきます。

 

4月11日(火)

 

バイトは3連休。大阪へ二泊三日で帰省です。妻は行かず一人です。

 

朝から高速バスでまず京都へ向かい、京都で軽く観光してから大阪へ行く予定。

 

バス乗車中に母より親父の退院日が13日(金)で決まったという連絡がありました。

 

親父は誤嚥性肺炎で3月半ばから入院していましたが、病状が落ち着いたのでこちらの希望通り、それまでいた特別養護老人ホームへ帰ることになります。

 

特養では経管栄養や点滴などの延命措置はなくなり、最終的な看取りの段階になります。

 

tamikiti67.hatenablog.com

 

4月12日(水)

 

実家では昼間やることがないので、守口市へブラブラ。和食さとで鯛めし食べて、イオンモール大日に行きました。

 

そういえば母から頼まれていた風呂の栓のボールチェーンを購入し散髪もしました。

 

tamikiti67.hatenablog.com

 

4月13日(木)

 

10時に親父が退院となり、タイムズカーで借りた車で母、妹、叔母夫婦を乗せて、車で30分ほどのところにある病院へ。特別養護老人ホームは血のつながりのある人(一日一回15分2人まで)しか面会できないため、おじさん(91歳)は親父と面会するのはこれが最後。

 

寝台付きの介護タクシーで親父を移送、妹と母が付き添い。私は叔母夫婦を家まで送ってあげてから、特別養護老人ホームへ。

 

私は特養の中には入らず、母と妹を連れて帰るため待機。父は個室を与えられ、服も病院の浴衣から普段着に着替えて元気そうに見えたらしい。

 

入院中は鼻にチューブが入り、点滴もされていたので、それらを外さないようにカッパの手のような手袋をしていました。そういうのが無いだけでもだいぶ違うみたい。

 

午後から高速バスで愛知に帰りました。

 

4月14日(金)

 

バイトに行きましたが、仕事をはじめて1時間くらい、朝11時前に母から電話。親父が危ないらしい。

 

延命措置をやめ、環境が変わったせいでしょうか。

 

ボスに早退することを告げ、妻に電話して二人で自家用車で高速を飛ばし、大阪へ向かいました。

 

午後3時半くらいに大阪の特養に着きました。妹も来ていました。

 

親父は意外と元気で、「名古屋からきたぞー」というと「ありがとう」と言っていました。15分の面会時間が終わり「帰るぞー」というと手を振ってくれました。

 

生きている親父を見たのはこれが最後となりました。

 

4月15日(土)

 

午前中、妹と母を車で見舞いに連れていってあげました。父はまあまあ元気だったらしいです。話かけると返事もあったそう。

 

大丈夫そうなので明日から仕事に復帰しようとボスに連絡しましたが、気を利かせてくれて月曜まで休みにしてくれました。

 

火曜からもともと3連休ですので、これで12日から20日まで10連休となりました。

 

4月16日(日)

 

この日も母と妹を車で特養に連れて行きました。この日は昨日ほど元気ではなかったらしいです。眠りがちだったみたいです。

 

待っている間、葬儀屋のティア(会員になっている)に連絡し、葬儀が近いかもしれないということで、18日午前に母、妹を連れて、会場の下見兼、プランの打ち合わせの手配をしました。

 

妻をずっと大阪に滞在させるわけにもいかず、それに伴い車も愛知に戻さないといけないので帰ることにしました。

 

私だけ翌日の午後から高速バスで再び大阪に向かうつもりでいました。

 

4月17日(月)

 

朝7時前に母より電話があり、父が亡くなったことを聞きました。朝6時くらいに息を引き取ったみたいです。

 

朝5時の巡回で、スタッフさんが父に話しかけたところ返事があったそうですが、6時には息をしていなかったそうです。

 

2週間くらいはもつのかなと思っていましたが、最後の時は思いのほか早くやってきました。

 

家族はだれも親父の死に目に会えなかったことになります。

 

私たち夫婦は急いで身支度し、新幹線で大阪に向かいました。

 

新幹線車内で葬儀屋に連絡、特養に車を回してもらい、とりあえず葬儀ホールではなく実家に連れて行く手配をしました。(これは叔母の希望です。叔母は家で通夜を行うと思っていたみたい。)

 

10時半に自宅に到着、しばらくして葬儀屋の車で親父が運ばれてきました。ドライアイスとともに自宅のベッドに安置。お参りできるような簡単な祭壇を作っていきました。

 

ほどなくして葬儀屋の担当者がきて打ち合わせ。檀家になっている寺があるのでお寺に連絡。

 

付き合いのあるお寺さんがある場合は、葬儀屋経由で連絡するのではなく、こちらから直接頼まないといけないようです。

 

そしてこれは知らなかったですが、枕経といってお経を上げに来るんですね。午後1時半にお寺さんが来ました。

 

www.sougi.info

 

そのあと午後2時に葬儀屋の別の担当者が来て、プランや葬儀進行について打ち合わせ。喪主は長男である私となります。葬儀のことについてはまた別の機会で書こうと思います。いろいろ知らないことばかりでした。

 

他人の葬式もこれまで数えるほどしか出席したことがありませんので仕方ないですね。

 

4月18日(火)

 

午前中に葬儀屋のスタッフが来て再度うちあわせ、確認。

 

午後2時ごろに親父は葬儀屋ホールへ運ばれました。これは知らなかったのですが、湯かんというのをするのですね。(必ずしもやるわけではない)

 

www.tear.co.jp

 

午後6時から通夜です。家族葬なので参加者は13人ほど。高齢の母がいるので私たち夫婦と母は家に戻り、一晩中親父に付き添ったのは妹夫婦2人でした。

 

夜中に土砂降りの雨が降って、その音で目が覚めました。

 

4月19日(水)

 

起きると雨はやんでいましたが、近くで大きな雷の音。天気予報によると一日不安定な空模様のようです。

 

午前10時半から告別式。出棺して斎場で火葬。火葬には二時間ほどかかるので、いったん葬儀場に戻り食事をして、再び斎場に行ってお骨拾い。

 

斎場へは自家用車3台に分乗して向かいました。葬儀の参列者は15人、火葬場まで行くのは13人で、マイクロバスを手配するほどの人数ではありません。

 

私もカーシェアリングで手配した車を運転し、母親と母親側の親戚3人を乗せました。母親も久しぶりに親戚にあって、悲しい中にも嬉しいところがあったようです。

 

葬儀場にふたたび戻ってきて初七日法要を行って終了です。

 

その後葬儀屋さんが実家に来て、四十九日までの祭壇を仏壇の横に作って行かれました。こういうのも葬儀代に含まれているんですね。

 

通夜から葬儀までいろいろやることが多すぎて、もう少し簡略化できないのかなとも思います。疲れました。

 

葬儀に関しては親世代はこだわりが強く(特に叔母)、まあやりたいようにやってもらうしかないですね。

 

4月20日(木)

 

午前11時くらいまで家にいて、午後2時半発の高速バスで愛知へ帰りました。行きは新幹線でしたが、帰りは節約。

 

まとめ

 

親父は自宅での介護が10年、施設入所がおよそ7カ月、そのうち病院が1か月半でした。長く面倒を見てもらって幸せだったのではないでしょうか。(そのぶん母がたいへん)

 

なお、この10日間、私は愛知ー大阪を3往復して、ほとんど大阪にいました。仕事は1時間しただけです。

 

私も妻も仕事をだいぶ休んだので、来月の給料は減りそうです。(お互いバイト、パートなので)

 

また、この後もいろいろ手続きがあるので、しばらくは毎週大阪に帰ることになりそうです。

 

来週はさっそく葬儀代の支払いです。とりあえず私のカードで建て替えて、その後親父の生命保険を解約した保険金から貰う予定です。

 

改めて親父の堅実さがよくわかります。

 

なお「家族葬=安い」ではないですね。やってみてよくわかりました。