三重県内の近鉄2路線を乗車しました。
湯の山線
近鉄全線2日間フリーきっぷを持っていたので、なんとなく近鉄全線乗車を目指し、湯の山線を終点まで往復することにしました。
湯の山温泉開湯千三百年のヘッドマーク。湯の山温泉は鈴鹿山脈は御在所岳のふもとに位置する三重県有数の温泉地です。
近鉄湯の山線は四日市駅と湯の山温泉駅を結ぶ全長15.4㎞の路線で、昔は名古屋からの直通の急行列車も存在していたようですが、現在は線内での折り返し運転のみです。
以下、近鉄のホームページより引用します。
湯の山線は名古屋線から分岐する数ある支線の中でも、観光色の強い路線です。
現在の湯の山線が四日市鉄道の手で川島駅~湯の山駅(現 湯の山温泉)を開業したのは1913(大正2)年6月。 同年9月、川島駅~諏訪駅(現 近鉄四日市駅)間開業。
1916(大正5)年3月、諏訪駅~国鉄四日市駅(現JR四日市駅)間を開業し、国鉄四日市駅~湯の山駅間が全通しました。
四日市鉄道による現在の湯の山線。 当初は「菰野の軽便」と親しまれ蒸気機関車によって運転する軌間762mmの特殊狭軌鉄道でしたが1921(大正10)年11月に全線が電化。
1931(昭和6)年3月に同じ762mmの三重鉄道(諏訪駅から伊勢八王子駅・内部駅間で営業)を合併しました。 なお、諏訪駅~国鉄四日市駅間は1927(昭和2)年、営業を廃止しています。
湯の山線は名物の四日市とんてきを食べに、伊勢松本駅まで乗車したことがありますが、伊勢松本駅以遠は初めて。
のどかな田園地帯を走ります。
終点近くになるとお客さんは少なくなりました。
湯の山線は湯の山温泉や御在所岳へのアクセス路線ですが、四日市近隣の通勤・通学需要が多そうです。
四日市を出て26分、終点の湯の山温泉駅に到着しました。
湯の山温泉駅の駅舎です。
湯の山温泉駅はホームが2面ありますが、改札口からぐるっと回らないといけない右側の1番線ホームはほとんど使われていないようです。
四日市駅への折り返しの電車は5分後に発車しますが、さすがにそれでは味気ないので30分後の電車にして、周辺を散策することにしました。
駅前にある文字通り駅前売店です。
御在所岳から流れ下る三滝川を渡ります。
湯の山ストアー魚新。
あたりは住宅や企業の保養所が点在します。この道を2㎞ほど登ると御在所ロープウェーの山麓駅に至りますが、そこまでは行きません。
ホテルウェルネス。
あらら、休館。というか限りなく閉館?
こちらのグリーンホテルは元気に営業中です。
鹿の湯ホテルさんとか頑張っているところもありますが、全体としては湯の山温泉は寂れつつあり、廃墟も多いようです。
新名神高速など道路網が発達して、名古屋から場所にもよりますが1時間で来れてしまうので、ありがたみが無くなってきているのかもしれません。
でも御在所岳は登山で大人気なので、登山口の役目はまだまだありそうです。
四日市駅に戻ると、この週末に開催されるF1ラッピング車両が止まっていました。
鈴鹿線
鈴鹿市にある伊勢若松駅です。
このあたり近鉄は海沿いを走っており、伊勢若松駅から少し内陸にある中心市街へと鈴鹿線が通っています。
鈴鹿線は全長8.2㎞、伊勢若松駅と鈴鹿駅との間に柳、鈴鹿市、三日市の途中駅があります。
鈴鹿線は、1925年(大正14年)伊勢若松~伊勢神戸(現在の鈴鹿市)間を伊勢鉄道により開業しました。 その後昭和11年、参宮急行電鉄が伊勢鉄道と合併、昭和16年、参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併、関西急行電鉄と改称、昭和19年、関西急行電鉄が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立、という経緯の中、鈴鹿線は、伊勢電→参急→関急→近鉄と会社を渡り歩いてきました。
伊勢若松駅の駅舎。
郷土の偉人、大黒屋光太夫の銅像。江戸時代にロシアまで行っちゃった人ですね。あの猿之助が演じていたので、なじみが深い。
このあたりが生誕地のようです。
夕方5時頃ですが、なかなかの乗車率です。
立派な鈴鹿市役所の建物の近くにあるのが途中駅の鈴鹿市駅です。
ある程度、下車していく人がいましたが、それでも多くの人が終点の平田町駅まで向かうようです。
終点の平田町駅に到着。
F1ののぼり旗がありました。ここから鈴鹿サーキットも近いですが、どちらかというと近鉄名古屋本線の白子駅からアクセスする人が多いでしょう。
平田町駅の近くにはホンダの鈴鹿製作所、旭化成鈴鹿製造所といった大工場があります。
ちょっと疲れたので、平田町駅周辺を散策せずに、5分後の折り返しの電車で伊勢若松駅に戻りました。
近鉄全線乗車は、もしかしたら乗ったことがあるかもしれないですが、その記憶が無い古市ー河内長野間の長野線と、けいはんな線の生駒ー登美ヶ丘間、葛城山ロープウェイを残すだけとなりました。
昔は伊賀線や養老線もあったので、全線乗車はもう少し大変でしたね。