大阪城公園に隣接する大阪歴史博物館。その建物はNHK大阪放送局と隣り合っています。
一般客用の入り口も共用になっていました。大阪歴史博物館は初めての来館です。
BKプラザ
BKプラザという無料のちょっとした展示ルームがありました。
チコちゃん。どちらかというと子供向けの展示ルームでした。
9階にも展示室がありましたが、そちらには行きませんでした。
大阪歴史博物館
100円返却式のコインロッカーに荷物を預けて見学に行きます。
入場料は600円ですが、私は自動車保険の三井損保ダイレクトが提携しているクラブオフを使って、540円で入場しました。
その他JAFや地下鉄一日乗車券など、いろいろな手段で割引を受けられるようです。
10階 古代(主に難波京について)
エレベーターで10階へ一気に上がり、そこから9、8、7階と下りながら展示物を見ていくことになります。
10階の展望室から見る大阪城の素晴らしい眺め。
こちらは難波宮跡の眺めです。むかし大阪のこの地に都があったんですね。10階は主に難波宮に関する展示です。
歴史とはまったく関係ありません。大阪歴史博物館の北隣に大阪府警本部があるのですが、なにやら報道陣が多数。ちょうど誰かを乗せたワゴン車が出ていくところです。
乗っているのは誰だろう。地検に送検でしょうか?
10階は難波宮の大極殿を再現したコーナーがあります。大きさもほぼ同じとか。
難波宮についてChat GPT 先生について聞いてみました。
難波宮(なにわのみや)は、日本の歴史の中で重要な位置を占める古代の宮殿です。主に飛鳥時代の7世紀に存在し、大化の改新後に始まる飛鳥時代は、日本の中央政権が整備され、文化や制度が発展していく時期でした。難波宮は、その中で大阪府大阪市の難波に位置していたと考えられています。
難波宮は、当時の大和朝廷の中枢として機能し、皇族や貴族たちが政務や儀式を行う場として使われました。また、難波宮は畿内における海上交通の要所に位置しており、交易や文化の交流が盛んであったことが考えられています。
この宮殿は、7世紀半ばになると、聖徳太子の指導のもとで大化の改新が行われ、国家体制や法制度が整備されました。難波宮は、この時代の変革の中で日本の中央集権的な政権の拠点としての役割を果たしました。
大化の改新により、645年に飛鳥から難波宮に都が移りました。飛鳥時代の難波京(前期難波京)です。天武天皇の頃です。793年までの約150年間の宮がありました。
この間、藤原京(694~)、平城京(710~)、恭仁京(740~)などがあります。
ややこしいですが「宮」と「京」は違うんですね。
「宮」は、大極殿やそのまわりにある役所だけを指し示す言葉で、政治をする政庁のことで、現在一生懸命整備して公園に変えている奈良の平城宮跡などがその例ですね。大津宮や紫香楽宮なども同様。
対して、「京」とは都全体を指す言葉で、一般の人が住んでいる町並みも含めて都全体のことをいうので、お城と城下町の関係みたいなものですね。
難波宮は745年に恭仁京から遷都されて難波京となります。長岡京に遷都(784)されるまで都であったことになります。奈良時代の難波京(後期難波京)です。奈良の大仏を作った聖武天皇の頃です。
当時の女官たち。
侍従たちです。
大極殿再現コーナーから見る難波京跡。周囲より高い上町台地上にあり、難波京のあったころには東側(写真の奥の方)は河内湖、西側は海(大阪湾)でした。
昔は梅田も難波も海の底だったんですね。
大極殿跡が見えます。
難波京時代の近隣の遺跡からの出土品が多数展示されていました。重要文化材の船形埴輪。レプリカではなくモノホンでしょうか。
こちらも重要文化財とありました。
9階 大坂本願寺の時代・天下の台所の時代
大阪本願寺は現在の大阪城公園内にあったと考えられ、石山本願寺として織田信長と激しく争いましたね。
歴史博物館は意外と戦国時代の関連の展示は少ないです。大坂城築城や、大坂夏の陣、冬の陣の話もほとんど無かったですね。
ジオラマによる展示も充実しています。
江戸時代、天下の台所と言われた大坂の町を再現しています。天井が高くてダイナミックな展示です。けっこう写真を撮るのが楽しい博物館です。(個人所有の古文書、絵画など一部撮影禁止あり)
広島藩の蔵。全国各地の年貢米が大坂に運ばれてきました。
今の中之島あたりには米蔵が多数あり、売買が行われていました。大坂の米の価格は狼煙や旗を振ったりしてリレー方式で各地に伝えられていきました。
船の形をした珍しいだんじり。1935年あたりまで使われていたそうです。
江戸時代の今の船場の街並みを再現したジオラマです。なかなか巨大です。
政治の江戸、経済の大阪ではないですが、当時の経済の中心地である大坂の繁栄っぷりが解説されていました。
年貢米が集まるだけでなく、北前船で北海道や東北から多くの海産物が運ばれてきました。現在も大阪に昆布屋さんが多いのはそのせいなんでしょうね。
また銅の精錬や皮革産業など、いろいろな産業も発展しました。
7階 大大坂の時代
8階はそれほど展示が無く、7階にやってきました。
1933年(昭和8年)に梅田ー心斎橋間で開業した大阪の地下鉄。
8階まで吹き抜けになっており、高さを生かして昭和初期の大阪の街並みを再現。レトロ好きには楽しい展示になっていますね。
八百屋。
魚屋。
ツネヨ洋品店。
日の本タビのネオンサイン。日の本タビはブリヂストンの源流に当たる会社で、アキレスなどのブランドなどで知られる現在のアサヒシューズ。
歌舞伎など芝居も盛んに公演され芸能文化の中心でした。
その発展ぶりからただの大阪でなく「大大坂」と呼ばれたそうです。
私は大阪で生まれ育ちましたが、知っていたようで知らない大阪がありました。😃