沖縄というときれいな海だけではなく、各地に残る戦跡も訪れずに帰るわけにはいきません。
海軍壕公園

ゆいレールの小禄駅にやってきました。ここから徒歩で旧海軍司令部壕に向かいます。

地図で見たところ、そんなに遠くは感じなかったんですが、アップダウンの住宅地の中を30分近く歩いてやっと到着。妻がだいぶ不満げになってきています。
タクシーはあまり好きじゃないんですが使えばよかったかな。

司令部壕は小高い丘の上にあり、周囲は公園になっています。

那覇市中心街方面の眺め。
ビジターセンター・資料館

司令部壕の見学は大人450円ですが、ゆいレールの一日乗車券提示で360円となります。
司令部壕を見学する前に、まず資料室で沖縄戦について学びます。
本土攻撃への補給基地として沖縄を手に入れたったアメリカ軍、そして沖縄を本土への防波堤としてアメリカ軍侵入を防ぎたかった日本軍。
国内で唯一の民間人を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄。
悲惨な戦争の様子が写真や遺留品、説明パネルなどで解説されています。
写真は白黒なので見ることはできるものの、死体が折り重なった写真など、目を覆いたくなるようなものもあります。

館内および壕内は各資料も含めてすべて写真撮影OKです。

遺留品の防毒マスク。

手りゅう弾。
その他、兵士が家族にあてた手紙なども何通か展示されていました。
司令部壕には外人さん夫婦も見学に来ていました。おそらくこの時期だから普通の観光客ではなく米軍関係者ではないかと思われます。
旧海軍司令部壕

ビジターセンターの中には司令壕部壕へと続く階段があります。
旧海軍司令部壕は昭和19年に沖縄戦に備えて建設されました。米軍の艦砲射撃に耐えて持久戦に備えた施設で、4,000人の兵が収容されていたそうです。

105段、20mの階段。かなり地下深く潜ります。これを重機なしにつるはしだけで掘ったというから驚き。しかも壕の建設は秘密裏に行われたので、一般市民の手は借りていないそうです。

迷路のように入り組んだ壕。地下は湿っぽくひんやりします。

作戦室。

当時の様子が描かれたパネルが掛けられています。

漆喰でかためた壁は当時のままらしいです。

掘った土砂は人力で運搬していました。

とてもつるはしだけで掘ったとは思えない規模ですが、ここに4,000人収容というのもかなり過酷な環境だったと思います。トイレや風呂などはどうしていたのでしょうか。




下士官室。ひどい時は立ったまま寝たとか。そんな状態でまともに米軍と戦えたとは思えません。

こちらは司令官室。

作戦会議の様子でしょうか。

当時のままの司令官室。


幕僚室というのもあります。写真撮ったはずなんですがどこかへ・・・。HPから写真をお借りします。

それにしても写真整理していると、どの写真がどの部屋を取ったものか、よくわからなくなってきました。

旧海軍司令部壕の司令官であった大田實少将はじめ幹部6名は、米軍の猛攻に昭和20年6月13日夜半、拳銃自決を遂げました。
大田少将が海軍次官に宛てた、沖縄県民の献身的作戦協力について訴えた電報が残っています。こちらのパネルはその内容を現代文風に訳したもの。

こちらが出口となります。
壕を出て明るい陽の光を浴びると、誰もが、なんだかんだ不平不満や不安はあるでしょうが、この現代に生まれてきたことに感謝する気持ちになるでしょう。
また戦争時代の多くの人たちの犠牲があって、今の世の中があることを忘れてはならないと思いました。私も忘れないようにここに記しておきます。
漫湖水鳥・湿地センター

旧海軍司令部壕を見学した後は、漫湖水鳥・湿地センターに行きました。
漫湖(ま〇こ)は本土ではその名を口に出すのは憚れますが、沖縄では普通に地名です💦
ラムサール条約にも指定されている干潟で、那覇中心部から近いにも関わらず、緑のマングローブで覆われ、多くの種類の水鳥が棲息するとともに、カニやゴカイなど干潟の生物を観察することができます。

ビジターセンターの建物を抜けると木道が続いています。

こんなカニがわんさかいます。またハゼも多数。

それらを狙ってサギやシギ、チドリなどが干潟を忙しそうに歩き回っています。カワセミも見かけました。
食べ放題ですね。


入場無料。ただし見学はビジターセンターが開いている午前9時から午後5時の間となります。
閉館時間が近づいてきたので、これで帰ります。
ゆいレールの旭橋駅のコインロッカーに預けた荷物を回収してから那覇空港へと向かいます。帰りは午後7時40分発の便です。
