瀬長島ウミカジテラスからバスで那覇市内へ向かいます。瀬長島と那覇中心部を結ぶウミカジライナーです。
沖縄ですが東京バスによる運行なんですね。料金の支払いにVISAのタッチ決済が使えます。
ただタッチパネルをいくつか操作しないといけないので時間がかかります。
ハーレーエクスプレス/ウミカジライナー | 東京バス 沖縄営業所
ゆいレール
ゆいレールの赤嶺駅でバスを下り、ゆいレールに乗り換えました。那覇空港駅が日本最西端の駅とすると、赤嶺駅は日本最南端の駅です。
ピカチュー車両でした。あんまりというか、ほとんどピカチュー知らない。
赤嶺駅から25分、首里駅で下車しました。ゆいれーるはsuicaが使用可能でした。
首里駅から首里城までは徒歩約15分。首里城を訪れるのは2回目で、前回は十数年前なので、もちろん火災による焼失前です。
入口である久慶門まで首里城の城壁沿いに歩きました。
左上に見えている倉庫みたいな建物が再建中の首里城?
守礼門
実際に見学した順番とは違いますが守礼門です。
扁額を掲げる中国の牌楼 (ぱいろう) に似た形式の 門。 王城へ向かう本通り途中の上の方にある美しい門 として庶民からも愛されました。 扁額の「守禮之邦」 は、「琉球は礼節を重んずる国である」 という意味。 1527~1555年に創建。 沖縄戦で破壊され、 現在の 門は1958年に復元されたものです。
世界遺産の園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門がありました。
国王が外出する時の安全をこの石門 の前で祈願しました。 1519年に創建されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元。 2000年12月に琉球 王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産に登録されました。
九慶門
九慶門から中に入りました。チケット売り場はまだこの先です。
首里城についてWikipediaより引用します。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。2019年10月31日の深夜の火災により、正殿を始めとする多くの復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が全焼・焼失または焼損した。
火災の原因は漏電でしたね。
瑞泉門
瑞泉門です。瑞泉という泡盛がありますが、おそらくここから名前をとっているのでしょう。
名前の通り門の手前には泉が湧きだしていました。
漏刻門
漏刻門を抜けます。ここまでまだお金を払っていません。すでに満足している自分がいますが、きちんと最後まで見学しましょう。😅
見える倉庫のような建物は、この中で首里城正殿が再建されているわけではなく、再建に使用する木材の倉庫および木材加工の作業場となっているようです。
チケット売り場
チケット売り場は廣福門を抜けたところにありあました。見学料は大人400円です。首里城再建のお布施代わりに支払います。
奉神門
奉神門の先が有料エリアとなります。さっきから門が多いですね。
正殿の工事現場
この場所に正殿が再建されるようです。令和8年の完成予定だそうですが、まだ何もできていません。加工場で木材の加工が終われば、あとは組み立て塗装だけでしょうから充分間に合うのでしょうね。
加工場の内部です。
火災当時の様子を解説したパネルがありました。
東のアザナ
東のアザナと呼ばれる城内で最も高い所に行ってみました。
那覇の街が一望できて気持ちいい場所でした。
東のアザナ:城郭の東側に築かれた物見台。城郭内一帯や城下をはじめ、四方を見渡すことが できます。東は日が昇る場所のため方言で「アガリ」と言い、アザナは 「物見台」を意味します。
東側には神の島、久高島も見えるそうですが、ちょっと微妙。
首里城を見学して15時半。
沖縄日帰り旅行の残された滞在時間はあと4時間ほどです。次はどこに行きましょう。