WESTERポイント山陽新幹線フリーパスの日帰り旅です。
新大阪駅6時06分発の博多行きひかりに乗車しました。
徳山駅
8時25分、徳山駅に到着しました。山口県周南市です。
徳山は新幹線の駅の中で、最も海に近い駅です。どなただったか鉄道系ユーチューバーが言っていました。
たしかに駅から300mも歩くと港に到着します。三原もかなり海に近かったですが、徳山はもっと近いです。
大津島巡航
徳山港ポートビルです。
ここから九州は大分の国東半島にある竹田港行きのフェリーと、今回乗船する大津島巡航㈱の大津(おおづ)島行きの船が出ています。
券売機で乗船券を購入。
大津島の馬島港まで往復で1,440円です。
大津島へはフェリーと小型の連絡船がありますが、今回乗船する便は連絡船タイプの「鼓海Ⅱ」号でした。総トン数は59トン。定員MAX150人です。
ほんとうに150人も乗れるのかなあ。
意外とお客さんが乗っていました(15人くらい)。なぜか男性比率が高い。
徳山港をあとにします。
波しぶきをあげながら船はなかなかのスピードで進みます。揺れはけっこうありました。
20分ほどで大津島の馬島港に寄港しました。
もともと大津島は本島と馬島の2つに分かれていたそうですが、太平洋戦争末期に「回天」の訓練施設が出来た際に間が埋め立てられたと言われています。
多くの人は馬島港で下船しましたが、船はこのあと同じく大津島の苅尾、瀬戸浜、本浦の各港に向かいます。
回転基地跡
島のシンボルの「ようこそ回天の島」の大きな看板です。
回天は海軍が開発した特攻兵器で人間魚雷ともいわれています。
実は大津島をグーグルマップで見つけるまで、回天のことは知りませんでした。
帰りの船は1時間10分後(その次は3時間後)なので、急いで回天に関する史跡を見に行きます。
まずは回天基地跡に向かいます。
基地跡につづくトンネルは戦時中に掘られたもの。
もともとはここにレールが敷かれ整備工場から訓練施設だった基地に回天が運ばれていました。
壁などは戦時中からのものだそうですが、けっこうきれいです。
壁に資料のパネルが掲示されていました。
回天は大型魚雷を改造し、1名が乗り込めるようにしたもので、操縦しながら敵艦を攻撃しますが、緊急脱出装置のようなものはなく、一度出撃すれば生きては帰れない、海の特攻隊みたいなものです。
この地より海の砦として若ものは征く
手すりはあとからつけられたものだと思いますが、連絡橋も含めて戦時中のままの訓練施設が残っています。
ここから訓練兵が訓練に出て行ったのでしょう。
回転の操縦は非常に難しく、訓練で十数人が殉職したそう。
死因は浮上できないことによる(水圧で内部からハッチを開けることができない)酸欠など。
言葉は悪いですが犬死にとしか言えません。
でもそのような犠牲を経て、改善がなされるのでしょうか・・・
もともと安全は二の次だったみたいですね。
訓練は難易度に合わせて1~5のコースがあったそう。
整備工場跡
この空き地は回天の整備工場跡です。
このような施設配置になっていたようです。
回天記念館
回天に関する資料が集められた回天記念館があるので行ってみることにしました。
鹿児島知覧の特攻平和会館に比べればかなり小規模です。入館料は310円。
回天の実物大レプリカです。かなり大きいです。潜水艦に搭載されて使用されたそうです。
全長14.5m、最高速度は時速55.56㎞でけっこうな速さです。
実戦で目覚ましい戦果は挙げられなかった回天ですが、特攻隊と同じく米軍はかなり警戒していたそうです。
回天の碑。
回天のために全国から志願兵が集まったそうです。
遺書など故人の細かい部分に触れる展示物は写真撮影禁止でしたが、そもそも遺書などは涙なしに見ることができないです。(ノД`)・゜・。
回天のような非人道的な兵器の使用が許されるような、戦時下の社会の雰囲気が怖いと感じるとともに、現在の日本の繁栄はこのような人たちの犠牲の上に成り立っているのだと思わずにいられません。
もっと早く無条件降伏すれば若者たちの犠牲が最小限に済んだでしょう。
月並みですが現代の今のところ平和な日本に生まれたことに感謝するばかりです。
帰りの船に乗り込み大津島をあとにしました。
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