鳥取に向かう途中です。
佐用駅
JR姫新線の佐用(さよ)駅です。智頭、鳥取方面に向う智頭急行線の乗換駅になります。
智頭急行は山陽本線の上郡駅と因美線の智頭駅を結ぶ第三セクター路線ですが、関西と鳥取を結ぶJRの特急「スーパーはくと」や、岡山からの「スーパーいなば」がガンガン走る高規格路線です。
都市間移動がメインで地元客が利用する普通列車の運行は少なめです。
智頭急行線ホームの駅名看板です。
智頭急行はJRでないため、青春18きっぷでは乗れません。乗換時間を利用して切符を購入しました。
平福駅
佐用駅から一駅先の平福駅で下車することにしました。
近畿の駅100選にも選ばれている立派な平福駅。無人駅です。
平福は宮本武蔵初決戦の地だそうです。
武蔵初決闘の場|お知らせ|佐用町 公式ホームページ|絆できらめく ひと・まち・自然 未来へつなぐ 共生の郷 佐用
因幡街道宿場町
平福は因幡街道の宿場町として栄えました。
因幡街道は江戸時代の脇街道のひとつで姫路と鳥取を結んでいました。
本陣跡です。鳥取藩主が参勤交代するときに宿泊したのでしょう。
ちょっと古そうな建物です。
うだつが見られます。
佐用川の川沿いに形成された平福宿。川べりの家並みに風情があります。
平福郷土館前の大提灯です。
平成21年の台風9号災害で、このあたりは浸水したんですね。覚えています。こんな山間部でも洪水は発生するんですね。
ここ佐用町では18名の方が亡くなり、2名が行方不明となったそうです。
利神城
道の駅宿場町ひらふくです。鹿コロッケが名物だそうですが、残念ながら定休日でした。
すぐ隣に利神城を眺める展望台がありました。行ってみます。
利神城は山のてっぺんにあります。その姿から雲突城の別名があります。
石垣が見えます。登りはしませんが、登るのは大変そう。
「国指定史跡」利神城跡
利神城跡は、ここ佐用町平福にある中世から江戸時代初期にかけての城跡で、 現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5 (1600)年のころになります。
播磨52万石を領し、 姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、 その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。
城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は 「雲突城」とも呼ばれています。
元和元(1615) 年には池田輝政の六男、 輝興が佐用郡2万5千石を領して入城。 このころ城下町の整備も進み、のちの “宿場町平福” の繁栄のもととなったといわれています。
しかし寛永8 (1631) 年、 輝興が赤穂へ移り、 領地が山崎藩 (宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。
今日訪れて初めて存在を知ったお城でした。😀