静岡日帰り旅行の続きです。前回まではこちら。
新蒲原駅
JR東海道本線の新蒲原駅にやってきました。
御殿山
薩埵峠を歩いたものの、ちょっと物足りないので低い山をひとつ登ってみることにしました。
登るのは駅からも見える標高146mの御殿山です。
御殿山
御殿山は、天正10年(1582年)に徳川家康公の命令により造られた蒲原御殿で使われる薪などを採った山であったことからその名がついたとされています。
蒲原御殿は将軍家が上洛の際に使用した宿泊場所とした記録が残っています。しかし、将軍家の上洛の必要性が無くなったこともあり、3代将軍家光公が宿泊をされたのを最後に使用されなくなりました。その後、元禄12年(1699年)の大津波により流されてしまった蒲原宿の移転先となりました。
御殿山は、そんな蒲原御殿の名残を残す場所です。
現在では、市内有数の桜の名所として知られ、山頂までの軽いトレッキングを楽しむことができます。
御殿山|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を
登山口
山麓にある八坂神社社殿の左側の登山口から登りました。もう少し東にある正八幡神社から登ることもできます。
少し登っただけで見晴らしが良くなってきました。
道は整備されていて、まずまず歩きやすいです。
さくらつり橋
さくらつり橋を渡りますした。長さ30mくらいあってユラユラ揺れて面白い。
御殿山広場
頂上直下は公園となっていて、御殿山広場の名称がついています。
滑り台がありました。滑るとお尻で掃除ができそうです。
望遠鏡もありました。無料みたいです。太っ腹ですね。
のぞいてみると他人様の家が丸見え。😮
日本一深い駿河湾です。このあたり2㎞も沖に行くと水深500mもあるらしい。(by Wikipedia)
狼煙場(のろしば)
頂上は狼煙場と呼ばれて、駅前にあった観光看板には富士山の大絶景を楽しめる場所のひとつと紹介されていましたが、富士山の姿はどこでしょう? まさか見えないとか。
これに登ったら見えるのかな?
いちばん上に行くのは梯子を登らないといけません。
ありゃ、嫌な予感がしていましたがまさかの展望なし。富士山が見えるはずの東の方向。
こちらは西側ですが、全方向で樹木が茂りすぎて展望がありません。
ちょっと下がったところで茂みの間から、やっと富士山を見ることができました。
富士市、富士宮市の方向ですね。
富士川と愛鷹山。
帰りは来た時と同じ道を引き返しました。
登りの時には気がつかなかった、力強い根っこを持つクスノキの大木。
八坂神社に下りてきました。
東海道蒲原宿
旅籠和泉屋
御殿山のふもと、蒲原は旧東海道15番目の宿場町。この建物は旅籠の「和泉屋」。
旅籠「和泉屋」(鈴木家)
当家は、江戸時代 「和泉屋」という上旅籠でした。天保年間(一八三〇~ 四四)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。
今に残る二階の櫛形の手すりや看板掛け、柱から突き出た腕木などに江戸時代の上旅籠の面影を見ることができ ます。
弘化二年(一八四五)の「蒲原宿商売調帳」に、「和泉屋間口間数六・一」とあり、現在は鈴木家四・一間、お休み処二間の二軒に仕切られています。
本陣跡
こちらは蒲原宿の本陣跡ですが、現在は誰かのお屋敷なんですかね。門は閉じられ立派な建物があります。
本陣跡
本陣は、大名宿・本亭ともいわれ、江戸時代に街道の宿場に置かれた勅使、大名、公家などの貴人が宿泊した大旅籠です。主に大名の参勤交代の往復に使用されました。原則として門、玄関、上段の間がある点が一般の旅籠と異なりました。ここは当宿の西本陣(平岡本陣)の跡で、かつてはここより百m程東に東本陣(多芸本陣)もありました。本陣の当主は名主、宿役人など苗字帯刀を許されていました。
蒲原夜乃雪碑
こちらは蒲原夜之雪記念碑。
歌川広重の有名な浮世絵「蒲原夜之雪」。
「蒲原夜之雪」記念碑
「蒲原夜之雪」の絵は、歌川(安藤) 広重が、天保三年(一八三二)四月、幕府の朝廷への献上使節の一行に加わって京へ上った折、この地で描いたもので、東海道五十三次シリーズの中でも最高傑作といわれています。昭和三十五年「蒲原夜之雪」が国際文通週間の切手になりました。 これを記念して広重がこの絵を描いたと思われる場所にほど近いこの地に記念碑が建てられました。
静岡はかなり温暖なイメージがありますが、江戸時代は広重の浮世絵のように積もるほど雪が降ったのでしょうか。地球温暖化前だからですかね?